三島由紀夫の不朽の名作 金閣寺で正しい日本語を學習してゐます。
話者と聽手たちは、何かの記念像もやうに動かなかつた。私はといへば、二米ほどの距離を置いて、グラウンドのベンチに一人で腰掛けてゐた。これが私の禮儀(れいぎ)なのだ。
さて、若い英雄は、その崇拝者たちよりも、よけい私のはうを氣にしてゐた。私だけが威風になびかぬやうに見え、さう思ふことが彼の誇りを傷つけた。彼は私の名をみんなに聞いた。それから、
「おい、溝口」
と、初對面の私に呼びかけた。私はだまつたまま、まじまじと彼を見つめた。私に向けられた彼の笑ひには、權力者の媚びに似たものがあつた。
「何とか返事せんのか。啞か、貴様は」
「ど、ど、ど、吃りなんです」
と崇拝者の一人が私の代わりに答へ、みんなが身を撚つて(ひねって)笑つた。嘲笑といふものは何と眩しいものだらう。私には、同級の少年たちの、少年期特有の殘酷な笑ひが、光のはじめる葉叢(はむら)のやうに、燦然として見えるのである。
「何だ、吃りか。貴樣も海機に入らんか。吃りなんか、一日で叩き直してやるぞ」
私はどうしてだか、咄嗟に明瞭な返事をした。言葉はすらすら流れ、意志とはかかはりなく、あつといふ間に出た。
「入りません。僕は坊主になるんです」
皆はしんとした。若い英雄はうつむいて、そこれあの草野莖(茎)を摘んで、口にくはいぇた。
「ふうん、そんならあと何年かで、俺も貴樣の厄介になるわけだな」
その年はすでに太平洋戰爭がはじまつてゐた。
さて、若い英雄は、その崇拝者たちよりも、よけい私のはうを氣にしてゐた。私だけが威風になびかぬやうに見え、さう思ふことが彼の誇りを傷つけた。彼は私の名をみんなに聞いた。それから、
「おい、溝口」
と、初對面の私に呼びかけた。私はだまつたまま、まじまじと彼を見つめた。私に向けられた彼の笑ひには、權力者の媚びに似たものがあつた。
「何とか返事せんのか。啞か、貴様は」
「ど、ど、ど、吃りなんです」
と崇拝者の一人が私の代わりに答へ、みんなが身を撚つて(ひねって)笑つた。嘲笑といふものは何と眩しいものだらう。私には、同級の少年たちの、少年期特有の殘酷な笑ひが、光のはじめる葉叢(はむら)のやうに、燦然として見えるのである。
「何だ、吃りか。貴樣も海機に入らんか。吃りなんか、一日で叩き直してやるぞ」
私はどうしてだか、咄嗟に明瞭な返事をした。言葉はすらすら流れ、意志とはかかはりなく、あつといふ間に出た。
「入りません。僕は坊主になるんです」
皆はしんとした。若い英雄はうつむいて、そこれあの草野莖(茎)を摘んで、口にくはいぇた。
「ふうん、そんならあと何年かで、俺も貴樣の厄介になるわけだな」
その年はすでに太平洋戰爭がはじまつてゐた。
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