2014年8月アーカイブ

 盲導犬が刺されるといふ事件が起きてゐます。

老人の修養

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「老人は氣急にして、事、速成を好み、自重する能(あた)はず。含蓄する能はず。又妄(みだり)に人言を信じて其の虚實を察する能はず。警(いまし)めざる可(べ)けんや。
 つづきです。
 八月十五日の敗戰屈辱日に靖國神社は若い世代で溢れました。我が國もだんだん變はつてきてゐます。猛暑でしたが、参拜者は、なんと十七万人だつたせうです。ところが、そのやうな視点で敗戦屈辱日を迎へる靖國を報道するメディアは産經新聞だけでした。ほとんどが閣僚は誰が來たとか、政治家は誰が参拜したのかといふくだらない報道でした。

道理に老少なし

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「身には老少有れども、而も心には老少無し。氣には老少有れども、而も理には老少無し。須(すべか)らく能(よ)く老少無きの心を執りて、以て老少無きの理を體すべし」

金閣寺

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 三島由紀夫の不朽の名作金閣寺を讀みながら正しい日本語を學習してゐます。
 「中国帰還者連絡会(中帰連)」といふ団体をご存知でせうか?
 この主人公を通した三島由紀夫の表現や描写はたまりませんね。文學とは良いものですね。また、私の歴史的假名遣ひの間違いも學ぶことができます。

清き者我が心を洗ふ

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「色の清き物は觀るべし。声の清き者は聽くべし。水の清き者は嗽(ます)ぐ可(べ)し。風の清き者は當たるべし。味の清き者は嗜(たしな)むべし。臭(か)の清き者は嗅ぐべし。凡そ清き者は皆以て吾が心を洗ふに足る」

天地始粛

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 昨日から、七十二候 四十一候 処暑 次候 「天地始粛」です。「てんちはじめてさむし」と讀みます。

 ようやく寒さが鎮まる頃です。
 特定秘密保護法の時、メディは「國民の知る権利を侵すのか」と騒ぎまくりました。では、そのメディアは? 何回化に分けて多くのメディアの醜さをお伝えします。

 八月十六日のTBS「情報7Days」です。
 広島を始め、各地の自然災害により、お亡くなりになられた方々に心から哀悼の意を表します。

 我が國は、太古から自然災害との戰ひの歴史でした。

敎育の根本

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「敎へて之を化するは、化及び難きなり。化して之を敎うるは、敎へも入り易き」
 つづきです。この金閣の比喩などは最高ですね。さすが三島由紀夫。
 八月十五日の産經新聞に、公立小中學校にエアコンをつけるべきかどうかの論爭記事がありました。

金閣寺

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 三島由紀夫の不朽の名作金閣寺を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。

 それにしても、この豊富な語彙、表現力。さすが三島由紀夫です。

競躁の念

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「凡そ仕途に在る者は、多く競躁の念有り。蓋し此の念有る時は、必ず晋む能(あた)わじ。此の念を忘るるに至れば、則ち忽然として一転す。事物の理皆然り」
 本日より、毎月二回、企業再生研修を開始します。 
 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら正しい日本語を學習してゐます。三島由紀夫がノーベル文學賞候補だつたことを知つてゐる人は何人いるでせうか? あの、愚か極まりない、何を書いてゐるかわからない大江健三郎などとは格が何万倍も違ひます。

心友と疎交

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「世には、未だ見ざるの心とも有り。日に見るの疎交有り。物の睽合(けいごう)は、感応の厚薄に帰す」

綿柎開

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 今日から、七十二候 四十候 処暑 初候 「綿柎開」です。「わたのはなしべひらく」と讀みます。

 処暑は、暑さが少し和らぐ頃。綿柎開は、綿を包む咢(がく)が開く頃です。咢とは綿を包んでゐるものです。
 一昨日のことです。電車の中で、まず産經新聞を讀みました。まあまあでした。次に讀賣新聞。このデバガメ政治記事が、私のスケベ心をくすぐりました。なんでこんなに内閣・自民薹人事にからみたがるのだらうか? 消費税増税への布石? 極悪事務次官 前木下財務次官が讀賣に天下つたから???

 そして、日經新聞です。春秋は「相變はらず、アホなこと書いているなあ」と讀みました(ただし、昨日の日經一面春秋は、珍しくまともでした。書けるじゃん、かういふまともな記事も)。

 社説を讀みました。日經の社説は、どうしてこんなにレベルが低いのだらうか? かつてあんなに誇り高かつた日經が、今は。。。。。

 そして、・・・

毀誉得喪

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「毀誉得喪(きよとくそう)は、眞に是れ人生の雲霧なり。人をして昏迷せしむ。此の雲霧を一掃すれば、即ち天靑くして日白し」

 有爲子と戀人の海軍兵はどうなるのでせうか?

 本當の日本語とは、素晴らしく奥深いことが、金閣寺を讀んでゐてわかります。現代人は未熟ですね。

映画 日本人 上映會

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 映画 日本人 の上映會を行ひます。

 平成二十六年九月十三日(土)十三時~
プルデンシャル生命㈱セミナールーム
大阪市北區堂島1-5-30 堂島プラザビル6階
定員三十名 會費四千円(上映會終了後の懇親会代を含む)
 今日、八月二十日は私の誕生日です。昭和三十三年八月二十日七時三十六分生まれ。五十六歳です。

 あと五十二年生きます。我が國の再興と我が國中小企業の持續と永續のために。

自己修養の資

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「名有る者は、其の名に誇ること勿れ。宜しく自ら名に副(そ)ふ所以を勗(つと)むべし。毀(そしり)を承(う)くる者は其の毀を避くる勿れ。宜しく自ら謗を來たす所以を求むべし。是(か)くの如く功を著(つ)けなば、毀誉並びに我に於いて益有り」
 つづきです。ついに有爲子が・・・。
 親友の深田さんが、面白いものを送つてきてくださいました。


 最初何だろうと思ひました(實は、〇〇を送りますとメールをいただいてゐたのですが、まさかそれがこれなんて)

 コーヒー? 違ひます。

名利は厭ふ可きに非ず

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。「名の干(もと)めずして來たる者は、實なり。利の貪らずして至る者は、義なり。名利は厭ふ可(べ)きに非ず。但だ干むると貪るとを之れ病と爲すのみ」
 三島由紀夫の不朽の名作「金閣寺」を通して、正しい日本語を學習してゐます。
 今月号の弊社月刊誌 士魂商才でも紹介しました。弊社大阪事務所の近くに「瓦そば すずめ」といふ店があります。

蒙霧升降

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 今日から、七十二候 三十九候 立秋 末候 「蒙霧升降」です。「ふかききりまとふ」と讀みます。

 深い霧が立ち込める季節ださふです。

百人一首 百 最終回

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 今年元旦から書き始めた百人一首もいよいよ最終回です。次は何をやろうかなあ。

百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

 「宮中の古びた軒端にはえてゐるしのぶ草を見るにつけても、いくら偲んでも偲びきれない昔の御代であることよ」

 順徳院の歌です。
 江戸時代の中期、十八世紀後半から、多くの西洋人が我が國を訪れるやうになりました。イザベラ・バードと云ふ女性もさうです。彼女は「朝鮮紀行」「日本奥地紀行」などを著してゐます。
 三島由紀夫の「金閣寺」です。有爲子が脱走兵の居場所を敎へてしまひました。

有德者

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「德有る者寡言なり。寡言の者未だに必ずしも德有らず。才有る者多言なり。多言の者未だ必ずしも才有らず」

百人一首 九十九

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人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は

 後鳥羽院の歌です。

「人が愛ほしく思はれ、また恨めしくも思はれる。つまらないこの世を思ふがゆえに、あれこれ思い惱んでゐる私には」
 産經新聞の一面に産經抄といふコラムがあります。あの愚劣な日經の「春秋」、朝日の「天声人語」みたいなものです。春秋や天声人語と比べものならないぐらいしつかりとしたコラムです。でも・・・。

 行きたい!!! 行きたい!!! 絶對に行きたい!!! 時間が創れるかなあ。

 天皇皇后両陛下傘寿記念として、奈良國立博物館で、十月二十四日~十一月十二日に「第六十六回正倉院展」が開催されます。
 不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。

 繰り返しますが、今、書店で賣つてゐる三島由紀夫、谷崎潤一郎、森鴎外など素晴らしい作家の本は「現代仮名遣い(あへてかう書きます)」となつてゐます。これは、嘘です。そうするなら「現代仮名遣い」と云ふ前置きが必要です。文豪たちに失礼です。

 それにしても三島文學はすばらしい。

 さあ、有爲子の裏切りはどうなるのでせうか?つづきです。

天職

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「人各(おのおの)長ずる所有りて、恰好の職掌有り。苟(いやしく)も其の才に當らば、則ち棄つ可(べ)き人無し。「牛溲(ぎゅうしゅう)、馬勃(ばぼつ)、敗鼓(はいこ)の皮」、最も妙諭(みょうゆ)なり。

百人一首 九十八

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風そよぐ 楢の小川の 夕ぐれは 禊ぎぞ夏の しるしなりける

 従二位家隆の歌です。

「風がそよそよと吹く楢の夕暮は秋のやうな涼しさだけど、行われている禊がまだ夏であることのしるしだなあ」
 なんとまあ、春秋は相變はらずなのですが、社説があまりにも醜い。戰後の過つた敎育の申し子のような論説員ですね。事實改竄作家 司馬遼太郎を例に出して、あたかも我が國が惡いといふような内容となつてゐます。

 司馬遼太郎の筆の強さに騙されてはいけません。心有る文學者は、みな、彼を否定してゐます。彼は自分の國のことを「この國」と云ひます。冷めた第三者の目で祖國を見ています。そんな人物を例に挙げる日経の社説・・・。情けない。

 山崎豊子、山本七平・・・、歴史觀がゆがんだ作家です。でも、筆が強いからみんな騙されます。私も長く騙されてゐました。松本清張??? 彼はコミュニストです。

今日の讀賣は面白い

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 今、讀賣新聞を讀み終はりました。骨のある記事が満載です。書けるじゃん。かういふ記事が。こんな良い記事が書けるのだから、前財務事務次官の傀儡新聞にならないやうにすればいいじゃないかなあ。
 今日は、敗戰屈辱日です。「終戦記念日」でわありません。戰爭に敗けて、何を記念するのか???

 世界最強の帝國陸海軍を有しながら、我が國は敗北しました。かの戰爭が侵略戰爭などではないことは、ほんの少し史實を學べばわかることですが、それにしても、愚かな采配でした。特に海軍。特に山本五十六です。彼がなぜ稱賛されるかが、私には皆目見當がつきません。本當に勝ちたかつたら、なぜ、ハワイを占領しなかつたのか? なぜ、ミッドウェイやガダルカナルやソロモンなど何千キロも離れたところで戰ふといふ、およそ、素人の私にでもわかる愚策を行つたのか? まるでアメリカのスパイのやうな動きをしてゐます。彼はかう言つてゐます。「一年や二年なら存分に暴れてみせませう」。つまり、最初から敗けますと言つてゐるのです。こんな愚かなリーダーがゐるのでせうか?

 海軍は、「ハンモックナンバー」と言って、海軍士官学校や海軍大學校の成績で一生の昇進が決まりました。官僚です。科挙です。この官僚制度が我が國を亡ぼしました。今の日本も、財務省・内閣法制局と云ふ官僚制度に潰されさうになつてゐます。

 ああ、今日、靖國に行きたい。

靖國で 逢はうと誓い 愛のため 命捧げた 英霊稱ふ

國のため 愛する人を 守るため 命捧げた 心の力

今のこの 汚れた國に 英霊は なにをか思はん なにをか思はん 

崇高な 精神力の 英霊を 汚すメディアと 左翼を呪ふ
 有爲子の運命やいかに。

眞の内容

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「執拗(しつよう)は凝定(ぎょうてい)に似たり。軽遽(けいきょ)は敏捷に似たり。多言は博識に似たり。浮薄は才彗(さいけい)に似たり。人の似たる者を視て、以て己を反省すれば、可なり」

百人一首 九十七

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來ぬ人を 松帆の浦に 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

 権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)の歌です。いよいよ百人一首の選者である藤原定家の登場です。女性になりきつて詠んでゐます。
 私がメディアの惡口を云ふと怒る人がゐます(惡口ではないのですが・・・。すぐに臣民を騙すメディアへのチェック機能なのですが・・・)が、もう、一部を除いて、どうしやうもないぐらい、劣惡な、醜惡なレベルです。國賊朝日新聞は、もう、触るだけで吐き氣をもよおすほどで云うにも及びませんが、最近は、讀賣がひどい。木下前財務次官が天下りをしたので、かなり變はつてきました。政治を裏で動かさうとしてゐる、木下の姿が透けて見えます。相變はらず消費税増税に向けての布石をうつ財務省御用聞き新聞であるのに加え、内閣・自民黨人事まで左右しようとしてゐます。ひどいですね。みなさん、きちんと見張つてください。日経? あの、日経一面の春秋をなんとかしてほしい。朝から腰が抜けて力が入りません。

 そして、昨日の毎日です。こんな存在感が薄い新聞がやつてくれました。

 昨日の、安倍首相のメールマガジンを紹介します。
 ちやんとした本當の日本語を、不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら學習してゐます。

 さて、有爲子は・・・。

旧恩と新知

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「旧恩の人は、疏遠(そえん)す可(べ)からず。新知の人は、過狎(かこう)す可らず」

百人一首 九十六

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花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)の歌です。

「櫻の花を誘つて散らす、嵐が吹く庭の、ふりゆくものは雪ではなく、じつは老けていくわが身なんだよ」
私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。あれほど古い文明をそのまま今に傳へてゐる民族は他にない。日本の近代化における發展、それは大変目覺しいが、不思議ではない。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治に入り、歐米の文化を急速に輸入しても発展できたのだ。どの民族もこれだけ急な發展をするだけの資質はない。しかし、日本にはその資質があるのだ。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格がある。彼らは貧しい。しかし、高貴である

訓戒

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「小壮の書生と語る時、荐(しきり)に警戒を加ふれば則ち聽く者厭ふ。但だ平常の話中に就kて、偶(たまたま)警戒を寓すれば、則ち彼れに於いて益有り。我も亦煩瀆(はんどく)に至らじ」

寒蟬鳴

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 今は、七十二候 三十八候 立秋 次候 「寒蟬鳴」です。「ひぐらしなく」と讀みます。

百人一首 九十五

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おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣(そま)に 墨染めの袖

 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)の歌です。

「おそれ多くも、仏のご加護を願つて、俗世の人々におおい掛けるうよ。比叡山に住み始めた私の墨染めの袖を」
 子供の頃、惡戲をしたらよく近所のおつちゃんやおばちゃんに怒られてゐました。親はもつと鬱陶しかつた。先輩後輩の礼儀もうるさかつたし、學校の先生も鬱陶しかった。
 三島由紀夫の金閣寺です。有爲子はどうなるのでせうか?

天さ定まりて人に勝つ

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「罪無くして愆(とが)を得(う)る者は、非常の人なり。身は一時に屈して、名は後世に伸ぶ。罪有りて愆を免るる者は、奸侫(かんねい)の人なり。志を一字に得て、名は後世に辱められる。古(いにしへ)に謂ふ。「天定まりて人に勝つ」と。是(こ)れなり」

百人一首 九十四

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みよし野の 山の秋風 小夜(さよ)更けて ふるさと寒く 衣うつなり

 參議雅經(さんぎまさつね)の歌です。

「吉野の山の秋風が夜更けに冷たく吹き渡り、吉野の里は冷え込んで、どこからともなく衣を打つ砧(きぬた)の音が寒々と聞こへてくるよ」
 昨日の新聞各紙(除く朝日、毎日)に「大卒就職率上昇69%」と云ふ記事がありました。
 不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら正しい日本語を學習してゐます。

禍福榮辱

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

必ずしも福を干(もと)めず。 禍無きを以て福と爲す。
必ずしも榮を希(ねが)はず。 辱無きを以て榮と爲す。
必ずしも壽を禱らず。 夭せざると以て壽と爲す。
必ずしも富を求めず。 餒(う)ゑざるを以て富と爲す。

百人一首 九十三

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世の中は つねにもがもな 渚こく 海士(あま)の小舟の 綱手(つなで)かなしも

 鎌倉右大臣の歌です。

「世の中は常に變はらないでほしいののだなぁ。渚を漕いでゐく漁師の小舟の引き綱を引く様子は、趣深く心がひかれることだ」
 昭和四十七年十月、内閣法制局は「集團的自衞權は行使できない」との憲法解釈を發表しました。それまでは行使できるとしてゐた解釈をなぜ變へたのでせうか。

 田中角栄の愚かな外交である日支國交樹立で支那に配慮したからであり、それはアメリカの意向でもありました(非核三原則も)。

 そして、我が國は、ついに國民の生命と安全を守るといふもつとも重要な役割すら放棄してしまひました。そのことが端的に表れてゐるのが北朝鮮による日本人拉致事件です。
 三島由紀夫の金閣寺のつづきです。

福を干むるの道

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「愆(とが)を免るるの道は、謙と譲とに在り。福を干(もと)むるの道は、恵と施とに在り」

百人一首 九十二

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わが袖は 汐干(しほひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし

 二条院讃岐(にじょういんさぬき)の歌です

「私の着物の袖は、引き潮の時にも見えない沖の石のやうに、誰も知らないけれど、涙に濡れて乾く間もないのですよ」
 朝日新聞が、慰安婦問題の記事の誤りを公表してゐました。でも、三十二年も臣民と世界を騙し續けたのに、謝罪がありません。

 南京大虐殺や100人斬りもうさうです。朝日新聞の本多勝一が南京大虐殺を、毎日新聞の浅見一男が100人斬りをでつちあげましたが、撤回も謝罪もありません。朝日新聞がどれほど我が國を壊してきたか。敗戰前、政府が必死に戰爭回避の方法を探つてゐるとき、朝日は世論を煽つて戰爭への道を主張しました。何が報道統制だい。そんなものは、戰時中の話しであつて、敗戰前は好き勝手にしてゐました。

 それが敗戰後は、こんどは左翼思想とでつちあげ記事で我が國を破壊しました。未だに朝日新聞を讀む人がいるのが不思議でなりません(私は調査のために時々讀みますが、吐き気がします。毎日もそうです)。

 集団的自衞權のときもさうです。


豫(与)

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「病(やまい)を病無き時に愼めば則ち病無し。患(うれひ)患無き日に慮れば則ち患無し。是を之れ豫と謂ふ。事に先立つの豫は、即ち豫樂の與にて、一なり」

涼風至

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 今日から立秋ですね。七十二候 三十七候 立秋 初候 「涼風至」です。五日ごとにくるこの季節感を感じ(觀じ)ながら、私たちの祖先は生きてきました。これを情緒と云ひます。私達が失つてしまつたものです。

君待つと 我が戀ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く

 額田王(ぬかたのおおきみ:これに振り假名をつけなければならないのがさびしい)の歌です。

百人一首 九十一

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きりぎりす なくや霜夜(しもよ)の さむしろに 衣かたしき 獨りかも寢む

 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)の歌です。

「蟋蟀(こおろぎ)が鳴いてゐる寒い夜のむしろの上で、私は自分の衣を片敷いて、ひとり寂しく寢るのだらうか」

 奥さんを亡くしたときの歌です。
 父の昔の知人から、私のブログにコメントをいただきました。いただいたコメントは、アップするようにしてゐるのですが、なぜかスパム解除になりません。申し訳ございません。

 この記事で紹介します。私のブログがこの方と父の再會に結びつくことをとてもうれしく思ひます。感謝合掌。父がとても喜んでゐました。
 三島由紀夫の不朽の名作「金閣寺」を讀みながら、正しい日本語の學習をしてゐます。つづきです。

素行

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「今日(こんにち)の貧賤に、素行する能(あた)はずんば、乃(すなは)ち他日の富貴に必ず驕泰(きょうたい)せん。今日の富貴に、素行する能わずんば、乃ち他日の患難に必ず狼狽せん」

百人一首 九十

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見せばやな 雄島(おじま)のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず

 殷富門院大輔(いんぶもんいんのたいふ)の歌です。

「あの人に見せたいものですよ。松島の雄島の袖さへ、ひどく濡れても色までは變はつてないのに」
 ブログ書けました。電波が通じにくい地区で今日はなぜかOKです。

 日經や讀賣には、幹部になつた後輩もゐるので、あまり書きたくないのですが、指摘(惡口ではありません)はします。なぜなら、メディアにはチェック機能がない。ガバナンスが働いてゐないからです。

 今日の、日經の一面コラムの春秋などは、一體なにを言ひたいかがわかりません。我が國を代表する大新聞もコラムニストが、この程度であることを、讀者は許していいのでせうか?この人は、いつもさうです。非嫡出子への相続を認める判決が出る前も、世論を煽つてゐました。判決が出た後、世論が「おかしいではないか」との流れに變はると、だんまりです。

 讀賣は、相變はらず、消費税増税路線です。よほど新聞に對する輕減税率が欲しいのでせうか?今の、内閣府の消費税増税世論誘導がいかに間違つてゐるかは、昨日の産經新聞の田村秀男論説委員が見事に論破してゐました。この人はメディアでも數少ない良識人です。

 さて、次世代の黨がスタートしました。息子から「綱領がおかしい」とのメールが入つたので、さつそく調べてみました。

 
 「♪24時間たたかえますか?ビジネスマーン、ビジネスマーン・・・♪」でおなじみのリゲインが今や・・・。


※明日と明後日はブログを書くことができないと思ひます。
 いいですね~。この本來の日本語を、敗戰後、愚かな私たちは、捨て去つてしまひました。現代假名遣ひでは、日本語は不完全です。言葉の本來の意味がわからなくなる。現代假名遣ひを「言葉の進化」としてとらへる愚かなる考へもあります。

 漢字もさうです。漢字には「字源」があります。白川静先生のご著書を讀むと樂しくてしかたがありません。それを意味もない今の漢字にしてしまひました。親は子供に云ひます。「漢字の勉強をしろ!」と。つまり「嘘を學べ」と云つてゐるのと同じです。子供は漢字に興味を持たなくなります。愚かなことです。

 さて、不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺のつづきです。


日の長短は心にあり

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「怠惰の冬日(とうじつ)は、何ぞ其の長きや。勉強の夏日(かじつ)は、何ぞ其の短きや。長短は我れに在りて、日に在らず。待つ有るの一年は、何ぞ其の久しきや。待たざるの一年は、何ぞ其の速やかなるや。久速(きゅうそく)は心に在りて、年に在らず」

 いいことばですね~。

百人一首 八十九

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玉の緒よ 絶えなば絶えぬ ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする

 式子内親王の歌です。

「私の命よ、絶えるなら絶えてしなへ。生き長らえると、この戀を心に秘める力が弱まつて、人に知られてしまふと困るから」
 昨日の新聞にこんな記事がありました。「経産省、「稼ぐ力」底上げ」。
 三島由紀夫の名作「金閣寺」を讀みながら、歴史的假名遣ひと正しい漢字を學んでゐます。つづきです。有爲子にいつたい何をしようとしてゐるのでせうか?

大雨時行

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 今日から七十二候 三十六候 大暑 末候 「大雨時行」です。「たいうときどきにふる」と讀みます。

患は易心に生ず

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「騎(き)は登山に踣(たお)れずして、而も下阪に躓(つまず)き、舟は逆浪(げきろう)に覆らずして、而も順風に漂ふ。凡そ患は易に生ず。愼まざる可(べ)からず」

百人一首 八十八

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難波江の 葦のありねの 一夜ゆゑ みをつくしてや 戀わたるべき

 皇嘉門院別當(こうかもんいんべつとう)の歌です。皇嘉門院聖子(こうかもんいんせいし:崇徳院の中宮)に仕へた女官長の役職名です。本名は不明です。
 長崎でしたつけ、少女が友達を殺して、切り刻んだ事件は?
 
 私は、悲しい記事や殘酷な記事や、朝日や毎日のやうな議論するに値しない記事などは、表題を見るだけで讀みません。心がすさむからです。この長崎の少女殺人事件もきつと殘酷なのでせう。

 でも、何日前だつたか、読売新聞の一面コラム「編集手帳」の中で、かういふことが書いてありました。

 つづきです。

予と謙

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「予は是れ始めに要(もと)め、謙は是れ始めを終わりnい全うす。世を渉るの道、謙と予とに若(し)くは無し」

百人一首 八十七

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村雨の 露もまだひぬ 眞木の葉に 霧立のぼる 秋の夕暮れ

 寂蓮法師の歌です。有名な歌ですね。

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