村雨の 露もまだひぬ 眞木の葉に 霧立のぼる 秋の夕暮れ
寂蓮法師の歌です。有名な歌ですね。
「にはか雨が通り過ぎて、その露もまだ乾かないすぎや檜などの葉に、霧が立ちのぼつてゐる秋の夕暮れだ」
英語では雨はrainだけです。
我が國では、秋霖(しゅうりん:秋の長雨)、時雨(しぐれ)、五月雨(さみだれ)、虎が雨(とらがあめ:五月二十八日に降る雨:解説省略)、八重雨(やえあめ)、村雨・・・・・・・・・。
我が國臣民の季節や自然に對する繊細な感受性はすばらしい。
色もさうです。例えば黄色ですが、英語ではyellowにせいぜいdarkかlightがつくぐらいですが、我が國は違ひます。黄色、橙色(だいだいいろ)、柑子色(こうじいろ)、弁柄色(べんがらいろ)、代赭色(たいしゃいろ)、黄蘗色(きはだいろ)、刈安色(かりやすいろ)、欝金色(うこんいろ)、支子色(くちなしいろ)、藤黄色(とうおういろ)、桑色、檸檬色、山吹色、象牙色・・・・・・・、枚挙に暇がありません。
情緒豐な國土で育つた我が國臣民のなさる業です。小學校から英語敎育など、およそ信じられない愚かな話がありますが、その前に、國語を敎へなければ、ただの英語を話すけだけのおバカさんが出来てしいまひます。
おつと、話を和歌に戻します。村雨は秋に降るにはか雨です。眞木とは、杉や檜、松といつた常緑樹をさします。
にはかに雨があがり、滴の乾かない杉木立の間から、白い霧が静かに立ち昇つてゐます。その霧がやがて、山全体を包み込むやうに白いベールでおおつてゐきます。そんな秋の夕暮れの風景。
この歌が廣く知られてゐる理由がわかります。壮大です。
まるで一連の水墨画を觀るやうです。秋に詠まれるといへば、紅葉が多いのですが、あえて常緑樹を詠んだ寂蓮法師に脱帽です。
英語では雨はrainだけです。
我が國では、秋霖(しゅうりん:秋の長雨)、時雨(しぐれ)、五月雨(さみだれ)、虎が雨(とらがあめ:五月二十八日に降る雨:解説省略)、八重雨(やえあめ)、村雨・・・・・・・・・。
我が國臣民の季節や自然に對する繊細な感受性はすばらしい。
色もさうです。例えば黄色ですが、英語ではyellowにせいぜいdarkかlightがつくぐらいですが、我が國は違ひます。黄色、橙色(だいだいいろ)、柑子色(こうじいろ)、弁柄色(べんがらいろ)、代赭色(たいしゃいろ)、黄蘗色(きはだいろ)、刈安色(かりやすいろ)、欝金色(うこんいろ)、支子色(くちなしいろ)、藤黄色(とうおういろ)、桑色、檸檬色、山吹色、象牙色・・・・・・・、枚挙に暇がありません。
情緒豐な國土で育つた我が國臣民のなさる業です。小學校から英語敎育など、およそ信じられない愚かな話がありますが、その前に、國語を敎へなければ、ただの英語を話すけだけのおバカさんが出来てしいまひます。
おつと、話を和歌に戻します。村雨は秋に降るにはか雨です。眞木とは、杉や檜、松といつた常緑樹をさします。
にはかに雨があがり、滴の乾かない杉木立の間から、白い霧が静かに立ち昇つてゐます。その霧がやがて、山全体を包み込むやうに白いベールでおおつてゐきます。そんな秋の夕暮れの風景。
この歌が廣く知られてゐる理由がわかります。壮大です。
まるで一連の水墨画を觀るやうです。秋に詠まれるといへば、紅葉が多いのですが、あえて常緑樹を詠んだ寂蓮法師に脱帽です。
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