百人一首 百 最終回

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 今年元旦から書き始めた百人一首もいよいよ最終回です。次は何をやろうかなあ。

百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

 「宮中の古びた軒端にはえてゐるしのぶ草を見るにつけても、いくら偲んでも偲びきれない昔の御代であることよ」

 順徳院の歌です。
 昨日の九十九首を詠んだ後鳥羽院の第三皇子です。とても氣骨のあつた性分だつたやうです。

 後鳥羽院が倒幕をくわだてた承久の亂には、父親以上に積極的だつたやうです。後鳥羽院もさういふ順徳院がかはいかつたのでせう。兄土御門天皇から譲位させてゐます。

 順徳院は佐渡に流されました。そこで、「これ以上の命は不要」と自ら絶命したと云ひます。

 この歌は、承久の乱で兵を起こす五年前に詠まれた歌です。「百敷」とは宮中のことです。偲ぶと忍ぶを掛けてゐます。力の失いつつある皇室を嘆き悲しんでゐます。

 鎌倉幕府の支配形態は、「ウシハク」です。すべてのものを支配します。それに對して、皇室の統治は「シラス」です。臣民を「おうみたから」として、自分たちの最も大切なものとします。八千数百年前から続いてゐる、皇室の統治形態が崩れることを歎いてゐます。
 
 わからないことがあります。なぜ、百人一首の最後の二首が、後鳥羽院と順徳院なのだらうか?といふことです。定家の惡戯なのでせうか?

 こんなことを考えながら讀む百人一首も素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2014年8月18日 04:59に書いたブログ記事です。

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