つづきです。この金閣の比喩などは最高ですね。さすが三島由紀夫。
私はまた、その屋根の頂きに、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅の方法を思つた。この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であつたことを忘れてしまつてゐるにちがひなかつた。しかしそれが飛ばないやうにみえるのはまちがひだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでゐるのだ。時間がその翼を打つ。翼を打つて、後方に流れてゆく。飛んでゐるためには、方法はただ不動の姿で、眼(まなこ)を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるかへし、いかめしい金いろの雙の脚を、しつかりと踏んばつてゐればよかつたのだ。
さうして考へると、私には金閣そのものも、時間の海をわたつてきた美し船のやうに思はれた。美術書が語つてゐるその「壁の少ない、吹きぬけの建築」は、船の構造を空想させ、此の複雑な三層の屋形船が臨んでゐる池は、海の象徴を思はせた。金閣はおびただしい夜を渡つてきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして、晝の間といふもの、この不思議な船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに任せ、夜が來ると周圍の闇に勢ひを得て、その屋根を帆のやうにふくらませて出帆したのである。
さうして考へると、私には金閣そのものも、時間の海をわたつてきた美し船のやうに思はれた。美術書が語つてゐるその「壁の少ない、吹きぬけの建築」は、船の構造を空想させ、此の複雑な三層の屋形船が臨んでゐる池は、海の象徴を思はせた。金閣はおびただしい夜を渡つてきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして、晝の間といふもの、この不思議な船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに任せ、夜が來ると周圍の闇に勢ひを得て、その屋根を帆のやうにふくらませて出帆したのである。
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