この主人公を通した三島由紀夫の表現や描写はたまりませんね。文學とは良いものですね。また、私の歴史的假名遣ひの間違いも學ぶことができます。
私が人生で最初にぶつかつた難問は、美といふことだつたと言つても過言ではない。父は田舎の素朴な僧侶で、語彙も乏しく、ただ「金閣ほど美しいものは此世にない」と私に敎へた。私には自分の道のところに、すでに美といふものが存在してゐると云ふ考へに、不滿と焦燥を覺えずにはゐられなかつた。美がたしかにそこに存在してゐるならば、私といふ存在は、美から疎外されたものなのだ。
金閣はしかし私にとつて、決して一つの觀念ではなかつた。山々がその眺望を隔ててゐるけれど、見ようと思へばそこに行つて見るこごもできる一つの物だつた。美は、かくて指に觸れ、目にもはつきり映る一つの物であつた。さまざまな變容のあひだにも、不變の金閣がちやんと存在することを、私は知つてもゐたし、信じてもゐた。
金閣は私の手のうちに収まる精巧な細工物のやうに思はれる時があり、又、天空へどこまでも聳えてゆく巨大な怪物的な伽藍だと思はれる時があつた。美とは小さくも大きくもなく、適度なものだといふ考へが、少年の私にはなかつた。そこで小さな夏の花を見て、それが朝露に濡れておぼろな光を放つてゐるやうに見えるとき、金閣にやうに美しい、と私は思つた。また、蜘蛛が山のむかうに立ちはだかり、雷を含んで暗澹としてその縁だけを、金色にかがやかせてゐるのを見るときも、こんな壮大さが金閣を思はせた。はては、美しい人の顔を見ても、心の中で「金閣のやうに美しい」と形容するまでになつてゐた。
金閣はしかし私にとつて、決して一つの觀念ではなかつた。山々がその眺望を隔ててゐるけれど、見ようと思へばそこに行つて見るこごもできる一つの物だつた。美は、かくて指に觸れ、目にもはつきり映る一つの物であつた。さまざまな變容のあひだにも、不變の金閣がちやんと存在することを、私は知つてもゐたし、信じてもゐた。
金閣は私の手のうちに収まる精巧な細工物のやうに思はれる時があり、又、天空へどこまでも聳えてゆく巨大な怪物的な伽藍だと思はれる時があつた。美とは小さくも大きくもなく、適度なものだといふ考へが、少年の私にはなかつた。そこで小さな夏の花を見て、それが朝露に濡れておぼろな光を放つてゐるやうに見えるとき、金閣にやうに美しい、と私は思つた。また、蜘蛛が山のむかうに立ちはだかり、雷を含んで暗澹としてその縁だけを、金色にかがやかせてゐるのを見るときも、こんな壮大さが金閣を思はせた。はては、美しい人の顔を見ても、心の中で「金閣のやうに美しい」と形容するまでになつてゐた。
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