つづきです。
私は鏡湖池のこちら側に立つてをり金閣は池をへだてて、傾きかける日にその正面をさらしてゐた。漱淸(さうせい)は左方にむかうに半ば隱れてゐた。藻や水草の葉のまばらにうかんだ池には、金閣の精緻な投影があり、その東映のはうが、一そう完全に見えた。西日は池水の反射を、各層の庇の裏側にゆらめかせてゐた。まはりの明るさに比して、この日さしの裏側の反射があまりま眩く鮮明なので、遠近法を誇張した繪のやうに、金閣は居丈高に、少しのけぞつてゐるやうな感じを與へた。
「どや、きれいやろ。一階を法水院、二回を潮音洞、三回を究竟頂(くきょうちゃう)と云ふんや。
父の病んだ肉の薄い手は私の肩におかれてゐた。
「どや、きれいやろ。一階を法水院、二回を潮音洞、三回を究竟頂(くきょうちゃう)と云ふんや。
父の病んだ肉の薄い手は私の肩におかれてゐた。
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