この三島由紀夫の金閣寺は、實際にあつた話です。讀んでおいて損はありません。實は一大事件における少年の心理を綴つてゐます。では、つづきです。
住職の田山道詮和尚は、父と禪堂における友であつた。道詮和尚も父も、三年にわたる全堂生活をし、そのあひだに起居を共にした中であつた。二人はこれも將軍義満の建立にかかる相國寺の専門道場へ、昔ながらの庭詰や旦過詰(たんぐわづめ)の手續を經て入衆(にっしゅ)したのである。のみならず、ずつとあとで道詮師が機嫌のよいときに話したことだた、父とはかうした辛苦の友であるのみならず、開沈(かいちん)の時刻のあとで、塀を乘り超へて女を賈ひに出たりする樂しみを共にした仲であつた。
われわれ父子は、金閣拝見のあと、ふたたび本堂の玄關をおとなふと、長いひろびろした廊下をみちびかれて、名高い陸舟松のある庭を見わたす大書院の住職の部屋へとほされた。
われわれ父子は、金閣拝見のあと、ふたたび本堂の玄關をおとなふと、長いひろびろした廊下をみちびかれて、名高い陸舟松のある庭を見わたす大書院の住職の部屋へとほされた。
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