凛として 七

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 何を成したかよりも、どう生きたか。かつての日本人の在り方ですね。つづきです。
 ロングモーン蒸留所は1894年創業、当初からその酒は高い評価を受けていた。J・R・グランド工場長は「ウイスキーづくりは本を読んだだけじゃだめ。体で覺ものだ」と、初めて見る日本人の突然の訪問にもかかわらず、快く職人といっしょに働くことを受け入れた。紹介料や謝礼は必要なかつた。

 一週間の"研修"で政孝は「釜をたたいた反響で、蒸留具合を知る」「最高のウイスキーは高価なシェリー樽で熟成する」など、書物では得られない体験をする。誰もが嫌がる蒸留釜の掃除も「なんとかして本格式のウイスキーづくりの方法を身につけたい私にとって、どんな仕事も新鮮そのもの」と率先して引き受けた。

 目と肌と鼻で学んだ一週間の経験は、「本物のウイスキーをつくる」という信念をより確固たるものにした。そして、この「本物」へのこだわりは、政孝の一生の課題になっていく。

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「凛として」シリーズ、凄くいいですねえ。
毎回楽しみにしています。

ニッカのウイスキーでは特に余市が好きです。
サントリーのファンになる前はどちらかといえばニッカ寄りの人間だったんです(笑)

職人工芸が根付いている日本では、こうしたウイスキー作りのような職人技に活路を見出す先人がいて、しかも今となっては日本のウイスキーは世界四大ウイスキーに数えられるほど熟達した技にまで昇華されました。

インドやタイといった国でもウイスキーは作られていますが、飲んでみるとわかります、日本の技術の高さが。素晴らしい我が国の職人技はまだまだインドやタイが及ぶものではありません。

深田さん、コメント感謝します。我が國は素晴らしいですね。深田さんのおかげでウイスキーがどんどん好きになります。最近のボトルキープは、竹鶴です。

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このページは、宝徳 健が2014年9月22日 02:46に書いたブログ記事です。

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