不朽の名作 三島由紀夫の「金閣寺」を讀みながら、正しい日本をを學習してゐます。つづきです。
屍はただ見られてゐる。私はただ見てゐる。見るといふこと、ふだん何の意識もなしにしてゐるとほり、見るといふことが、こんなに生ける者の權利の證明であもあり、殘酷さの表示でもありうるとは、私にとつて鮮やかな體驗だつた。大聲で歌ひもせず、叫びながら駆けまはりもしない少年は、こんな風にして、自分の生を確かめてみることを學んだ。
卑屈なところの多い私ではあつたが、そのとき、少しでも涙に濡れてゐない明るい顔を、檀家の人たちのはうへ向けることを恥ぢなかつ。寺は海に臨む崖上にあつた。弔ひ客たちの背後には、日本海の沖にわだかまる夏雲が立ちふさがつてゐた。
起龕(きがん)の讀經がはじまり、私はそれに加はつた。本堂は暗かつた。柱にかけられた幡、内陣の長押の華鬘(けまん)、香爐や華瓶(けべう)のたぐひは、證明のちらちらする光をうけて煌めいていた。ときどき海風が入つて來て、私の僧衣の袂をふくらませた。私は讀經してゐる自分の目のはじに、強烈な光を彫り込んだ夏の雲の立姿をたえず感じてゐた。
たえず私の顔の半面にそそぎかける嚴しい外光。輝かしいあの侮蔑・・・。
卑屈なところの多い私ではあつたが、そのとき、少しでも涙に濡れてゐない明るい顔を、檀家の人たちのはうへ向けることを恥ぢなかつ。寺は海に臨む崖上にあつた。弔ひ客たちの背後には、日本海の沖にわだかまる夏雲が立ちふさがつてゐた。
起龕(きがん)の讀經がはじまり、私はそれに加はつた。本堂は暗かつた。柱にかけられた幡、内陣の長押の華鬘(けまん)、香爐や華瓶(けべう)のたぐひは、證明のちらちらする光をうけて煌めいていた。ときどき海風が入つて來て、私の僧衣の袂をふくらませた。私は讀經してゐる自分の目のはじに、強烈な光を彫り込んだ夏の雲の立姿をたえず感じてゐた。
たえず私の顔の半面にそそぎかける嚴しい外光。輝かしいあの侮蔑・・・。
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