三男の政孝は好奇心旺盛、相当な暴れんぼうだった。後に自ら「大人になっても、少年時代の生傷があちこちに残っている」と語っているほどだ。中でも極めつけは八歳のときの、穴の大けがだ。2階から階段を転がり落ちて顔を強打、七針縫った。
第2章 酒場を遊び場に
「これからの長い人生、竹原の酒づくりで終わってしまうのか」
洋酒に興味、熱心な働きに評価
自伝「ウイスキーと私」(日経新聞零細『私の履歴書』に加筆、ニッカウヰスキー発行)で政孝は、「このけがで大き鼻がさらに大きくなった。とこ ろが花がよく通るというのか、人が感じない"におい"を感じるようになり、のちに酒類の芳香を人一倍きき分けられるようになったのも、このけがのあとから であるから、人生というのは不思議なものである」と振り返っている。
けがで鼻がよくなるのも不思議だが、政孝にとってまさに人生を左右する"けがの功名"だった。
「これからの長い人生、竹原の酒づくりで終わってしまうのか」
洋酒に興味、熱心な働きに評価
自伝「ウイスキーと私」(日経新聞零細『私の履歴書』に加筆、ニッカウヰスキー発行)で政孝は、「このけがで大き鼻がさらに大きくなった。とこ ろが花がよく通るというのか、人が感じない"におい"を感じるようになり、のちに酒類の芳香を人一倍きき分けられるようになったのも、このけがのあとから であるから、人生というのは不思議なものである」と振り返っている。
けがで鼻がよくなるのも不思議だが、政孝にとってまさに人生を左右する"けがの功名"だった。
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