私は出張に行つてもほとんど觀光をすることはありませんが、事務所がある岐阜と小濵は時間があるときに散歩をします。今回、少し時間があつたので、小濵巡りをしました。
晴れ渡る秋の空、其の下を流れる、清らかな川、息をのむ美しさのリアス式海岸、緑満載の山・・・。これが人間が生活する所なのですね。地方は贅沢です。
でも、人口減が續いてゐる地方が多い。逆提唱します。地方創成と云ふなら、一票の格差を逆にすることです。つまり、国會議員の數を人口が少ないほど多くするのです。だいたい政令指定都市に国會議員など不要です。
少し話は變はりますが、安倍さん、苦戰してゐます。財務省によいやうにやられています。そこで提案。消費税増税(消費増税といふことばはおかしい)を10%にするのを先延ばしするのではなく、一度5%に戻す。その上で解散総選挙です。民意を背景にすると財務省も逆らいやうがない。
そして、何年か先に消費税を10%にするまで、人口減少が續いてゐる、地方には、消費税を免税とするのです。
そしたら、地方創成とか言つて、ちまちま補助金を出したり、あの官僚の惡い頭で施策を考へたりする必要などなく、デフレは一氣に解消し、地方は活性化します。
簡單なことなんですがね・・・。
さうだ。今日の産經新聞に、東大大學院教授のコメントが載つてゐました。今回、10%に増税しないと大變なことになるとか・・・。見事な財務省御用學者です。伊藤元重と云ひこの教授と云ひ、東大にはろくな経済學者がいません。東大は優秀な人間が行つてゐることになつてゐます。自分で考へる力がなく、知識だけ覺へるのが得意な人間に、嘘を教えたら、覺へることだけは上手なので、嘘を眞實として覺へこまれてしまひます。
東大で経済學を學ぶ必要はないですし、危險です。ほんの少し經濟學を學べば、この東大の御用學者たちが言つていることが嘘なのはすぐにわかります。
さて、鵜の瀬に行きました。
私も金閣には何度も行つてゐますが、金閣をこのやうに表現しようと思つたことはありません。三島由紀夫の語彙力、表現力、創造力、發想力には脱帽です。本當の日本語の威力はすごいですね。
つづきです。
さすがの鳥居信治郎も焦り始めました。政孝は・・・。
今は、七十二候 五十三候 霜降 次候 霎時施です。「こさめときどきふる」と讀みます。小雨がしとしとと降る時期です。
霜降とは、「そうこう」と讀みます。「朝夕に冷え込んできて露が冷気によつて霜となつて降りはじめることです。
TJさんと鳥ぼたんに行つた夜は、大學のクラブの同窓會です。
新宿歌舞伎町。あの町は我が國ではありませんね。
※今日のホームページに掲載した平成二十七年度の中小零細企業関連施策は「危機対応円滑化業務支援事業」です。
この人は、・・・。三島由紀夫は、・・・。なぜ、ただの金閣寺放火事件をこれほどの描写で書けるのだらうか??? 天才ですね。 そして、豊富な語彙。そして豊かな日本語・・・。敗戰後の私達が忘れるどころか捨て去つたものです。そして、進化していると思ひこんでゐる。
つづきです。
竹鶴政孝氏の本を讀んでも、鳥井さんの本を讀んでも、もちろん、私が最も私淑する故出光佐三翁の本を讀んでも、はっきりすることがあります。敗戰後の堕落した私達ではないといふことです。
私たちは、勝手に夢をあきらめる。私たちは、勝手に自分たちを決めつける。私たちは、何の考へもなしに、自分たちが一番進化した人間だと思ひこむ。私たちは、本當の我が國を知らない。
ただのお馬鹿さんです。
もう一度、我が國臣民が夢を創ることができる國にしないと。私達大人が先づは自覺することです。自分たちが情けないことをしることです。
つづきです。
靖國神社に行つた後、TJさんとお晝です。
最初は人形町の玉秀で軍鶏鍋を食べたいなあと思つてゐました。玉秀は、池波正太郎先生の作品鬼平犯科帳に出て來る「五鐡」のモデル店です。
※今日のホームページに掲載した平成二十七年度の中小零細企業関連施策は「日本政策金融公庫補給金」です。
さう云へば、本社勤務の時はあまり喫茶店に行きませんでした。子供も小さかつたし、よき父親をしていたからでせうか。
名古屋から大阪に転勤しました。
アイパッドで撮つた靖國の寫眞がうまく転送できません。寫眞は後日紹介します。
靖國神社秋の例大祭です。最も重要な行事の一つです。
※今日のホームページに掲載した中小零細企業關連施策は「創業・第二創業促進補助金」です。
この作品を學習してゐると、日本語の寛容さがわかります。現代假名遣ひは杓子定規なのですね。日本語は、本来もつと自由に使ふものです。
つづきです。
赤玉ポートワインはなつかしいですね。さあ、壽屋(現サントリー)に移籍した政孝はどうなるのでせうか?
東京初日の夜、TJさんと原宿駅で待ち合わせをして、私の隱れ家に行きました。
※本日の中小零細企業向け施策は「中小企業・小規模事業者経営力強化融資・保証事業」です。HPをごらんください。http://soepark.com
なんだらう?この不思議な氣持ちは。正しい日本語の修行を續けてゐると、心がほのぼのとしてきます。
もともと日本は、「言霊(ことだま)のさきあふ國」といふ美しい國でした。「こころ と コト と言葉(ことのは)」が一致するといふ人間社会では奇跡のやうな社会を築いてきました。
それを敗戰後の私たちがむちゃくちゃにしてしまひました。そして、敗戰後に生きる私たちは、「それが正解」だと誤解し、「それが進化だ」と愚かな考へを持ちます。なんともはやなげかはしい。
では、金閣寺のつづきです。
千葉支店の次は、本社でした。「なんとまあ、優秀な人間がこんなにもたくさん集まつてゐるのか」といふのが正直な感想でした。「こんな人たちに太刀打ちできるのだらうか?」「ここでやつていけるのだらうか?」と思ひました。
本社は七年間といふ長い赴任だつたので、いろいろな思ひ出があります。おいおい紹介します。
さて、昨日の名古屋のつづきです。本社から名古屋に転勤するときに。。。
來年度予算の概算要求が明らかになつてきました。中小企業庁の中小企業關連施策もさうです。
少しずつ紹介してまいりますので、ホームページをご覧ください。かなり予算運用の方法が變はつてきてゐます。さすが安倍さんです。
學生の頃、日吉で飲んで、家に歸えらうとしました。東急東横線は日比谷線に乗り繼いでいます。私の家は、千葉縣柏市です。日比谷線は(確か)北千住まででした。そこから、千代田線(常磐線各駅)に乘り換へます。
でも、起きたら日吉の三つ先の武蔵小杉でした。さうです。日吉から乘つて、酔つぱらつてずつと寢てしまひ、北千住に着いたのを氣づかず、電車が折り返してしまつたのです。
當時の武蔵小杉は、何にもありませんでした。しかたがなく驛で寢ました。
さて、先日、新幹線で東京に向かひました。新横濱を過ぎて、ふと車窓から外を眺めるとビル群が・・・。
安倍首相が消費税増税に愼重な發言をしたとたん・・・
郡山支店から千葉支店に転勤になり、担当エリアが決まつた時、K支店長が私に云ひました。「君、酒飲めるか?」。
もちろん飲めますが、何の事やらさつぱりわかりませんでした。でもすぐに解明。経営者の會などやつても、その後飲み会がセットされてゐないと、誰も參加しません。
よく飲みにも連れて行つていただきました。ある時、経営者の方數人と飲みました。ある社長が「今日は、遅くなつても心配しなくていいでよ。俺んちに泊めてやるで」と云ひました。安心して飲んでゐました。飲み會が終はりました。「じゃあな」とその社長は歸つてしまひました(涙)。車の中で寢ました。
さて、名古屋です。とにかくよく珈琲を飲みます。
なんでせう。何の変哲もない事實が、三島由紀夫の手にかかるとこれほどの文章になつてしまひます。素晴らしい。
つづきです。
本日、十月廿日は、皇后陛下のお誕生日です。八十歳でいらつしやいます。
初の民間から皇室入りをされた皇后陛下ですが、もう、國母であることは、臣民の誰もが思つてゐることです。
皇后陛下、お誕生日おめでとうございます。皇后陛下の万歳を心からお祈り申し上げます。
九月十七日の午後~十九日(昨日)の十四時ぐらいまで東京に行つてきました。久しぶりです。久しぶりなので、たくさん行事を入れました。
郡山出張所で二年間を過ごし、千葉支店に転勤になりました。まあ、若氣のいたりの大噴出の時代でした。まず、營業担當は、南房総です。君津・富津・館山・鴨川あたりです。あの頃は、高速道路がなかつたので、立山まで行くと片道2時間半以上はかかつてゐました。夏など觀光シーズンになると7時間以上です。さういふときは、館山に車を置いて、電車で行きました。もうひとつの方法は、國道410號線を通るルートです。今はどうなつてゐるか知りませんが、當時(昭和六十年)は、とても國道とは呼べない獣道でした。猿が集団で道路を横切るのをみてびつくりしたのを覺へてゐます。觀光客などだれも通りません。
さて、千葉時代のことはまた書くとして、名古屋へ行つてからの珈琲の思ひ出です。
昨日は、すさまじい迷惑コメント攻撃を受けました。その數九十四。右翼?左翼?カトリック敎會主義?
秘書に云はせると、「新聞社」ださうです。そんな度胸のある新聞社が今の我が國にあるわけがありません。嘘をついたり、御用聞きになる能力ばかり磨いてゐるのですから(笑)。
さて、その新聞が太陽光について騒いでゐます。
三島由紀夫の不朽の名作 金閣寺を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。それにしても、「えっ?この言葉は何?」「えっ?これはなんて讀むの?」というシーンがたくさんあります。つまり、私たちは、この名作を讀むことができない、間違つた日本語を學んできたのです。福田先生が嘆くはずです。
では、つづきです。
社會人になつたからの私は、広島・德山(實習)→郡山出張所(福島県)→千葉支店→本社→名古屋支店→大阪支店(後に關西支店)でした。
広島・德山は3ヶ月です。
私たちは、英國をイングランドと習ひました。これが間違ひであることは、先日のスコットランド獨立騒動でお分かりだと思ひます。イングランドとは、ユナイテッド・キングダムの一つでしかありません。
そしてスコットランドもその一つです。
イギリスも野蛮な歐州のひとつでしかないのですが、なんでせうか、あの他の歐州とは違つた魅力は。一つにはインテリジェンス力ですね。我が國は外交で國益を確保しやうとすれば、ユナイテッド・キングダムを抜きにはなしえません。また、GDPでは我が國の半分程度の國が世界で影響力を持っている姿には頭が下がります。もっとも核を保有してゐますが・・・。
さて、つづきです。
昨日、食事が終わつた後に、本屋さんに寄りました。讀み返したかったVOICEと久しぶりにPHPを賈ひました。すると・・・。
事務所間を移動するときに、必要な書類や本は、宅配便にお願いします。今回は、その中に、「凛として」と「金閣寺」を入れてしまひました。今日、荷物を受け取るので、この二つの連載は明日から再開します。
なんでこんなことを思ひ出したんだらう。今朝二時頃起きて、しばらくボケーっとして(ボケっとするならもっと寢ろよ)、仕事の整理をして、本を讀んでゐたら、急に「珈琲」のことを考へてゐました。なんでだらう???
メディアの見識の無さにはあきれてしまひます。今日の各紙の特定秘密保護法案に関する記事でも、自分たちが犯している知る權利なのに、それを守れと叫んでゐます。「我が國には特定秘密保護が必要なんだ」と主張する堂々とした新聞はないのか。
そして、一昨日の讀賣新聞・・・・。
つづきです。書いているとスコットランドに行きたくなってきます。中學生のころ、スコットランドの人と文通をしていました。ダンジーといふところに住んでいる同い年の人です。名前は・・・・・。忘れた・・・・。すみません。
昨日、家に戻つたら、息子がVOICE十一月號を持つてゐたので、讀みました。
戰時中あまりの極惡非道のアメリカに対して、硫黄島から市丸少将が出した手紙があります。
我が國では、軍人といふのは惡の代表と思はれてゐますが、軍人の方が民間人より見識が高いのです。素晴らしい文章です。
NHK朝ドラマッサンがどんなドラマか知りませんが、この凛としてはいいですね~。つづきです。
今日から七十二候 五十候 寒露 次候 菊花開です。「きくのはなひらく」と讀みます。
十月十五日から十七日神嘗祭(かんなめさい)です。
體調が思はしくなく、咳も止まりませんでした。ブログが書けなくて申し訳ございません。
私のことを「右翼」といふ人たちがゐます。これは、保守本流の人間にとつて、最大の侮辱の言葉以外の何ものでもありません。それ以前に、右翼の實態も知らない愚かな不勉強さをさらけ出し、自分が無知だといふことを公言してゐるやうなものです。
右翼と左翼は同じ思想です。こんなことも知らないとは・・・。右翼は愛國などといつてゐますが、我が國の國體など何も知りません。原始共産主義で、ただ、天皇陛下と無意味に叫んでいるだけです。
こんなのと一緒にされたくありません。
本當の日本語はいいですね~。學べば學ぶほど心に染み入ります。つづきです。
赤崎先生、天野先生、中村先生、ノーベル賞の受賞、おめでとうございます。
これで日本人のノーベル賞受賞者は22人となりました。大江健三郎といふ稀代の愚か者を除いてみなさんすごい業績です。あっ、あの理研のトップの野依といふ人もだめですね。
そして自然科學系は19人です。支那や朝鮮は0です。それはさうでせう。あんなにモノづくりを馬鹿にしてゐる國なのだから。
でも、この自然科學系の受賞者が、本當はもつと多いといふ事實をご存知ですか(いぜんにも書きましたが)?
あの依怙贔屓甚だしいノーベル賞の實態です。そのなかでの19人はすごいのです。
三島由紀夫の不朽の名作 金閣寺を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。つづきです。
先日、出光時代の親友と會つたときに、SWDさんからふたつのものをいただきました。
今日から、七十二候 四十九候 寒露 初候 「鴻雁來」です。「こうがんきたる」と讀みます。
きのこがおいしくなる季節ですね。
昨日、携帯電話の登録番號やアドレスを整理していて、うっかりすべての登録を消去してしまひました。
かういふ、三島由紀夫や谷崎潤一郎の「美質」な文章を子供のころから讀んでゐると、情緒が出てきます。敗戰後の我が國臣民から抜け落ちたのは、「美質」「情緒」です。我が國に最もぴつたりな言葉です。企業經營も美質を追い求めることが大切です。
つづきです。
今日は、たくさん仕事があったのですが、晝(昼)間は思い切って休みました。久々に14時頃家に戻りました。
金閣と自分の感情を交錯させてゐるこの描写は、三島由紀夫ならではです。
つづきです。
昨日、北陸事務所でEMRさんと打ち合わせをしてゐました。
池田勇人が竹鶴政孝の後輩とは知りませんでした。では、つづきです。
士魂商才第七十九號の原稿がまだ完成してゐません。讀者のみなさますみません。九月號なのに・・・。今週中には發送します。九月号なのに・・・。
巻頭言だけ紹介しておきます。
國會が始まりました。レベルの低い政治家には辟易とします。集團的自衞權は、海外に自衞隊を派遣することにつながるのださうな。大笑ひしてしまひました。
先日、小濱から芦原温泉(福井県)に移動しました(仕事ですよ)。山道に入つた時に、「私たちは自轉車で日本一周を・・・・」とダンボールに書いたものを自轉車の後ろにくくりつけた人間が二人、私の前を走つてゐました。それも横一列に並んで。つまり並走です。
金閣寺といふ寺はありません。鹿苑寺金閣です。三島由紀夫はそれをよくわかつてゐて、題名は「金閣寺」ですが、文章の中では「金閣」です。なぜ題名を金閣寺にしたのか・・・? この本を讀んでいくうちにわかるのでせうか?
つづきです。
昨日、入れたはずなのに、入つてゐませんでした。政孝の「けがの功名」まででした。つづきです。