金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 つづきです。
 その夏の金閣は、つぎつつと悲報が届いて來る。戰爭の暗い状態を餌にして、一そういききと輝いてゐるやうに見えた。六月はすでに米軍がサイパンに上陸し、連合軍はノルマンヂーの野を馳驅してゐた。拝觀者の數もいじるしく減り、金閣はこの孤獨、この静寂をたのしんでゐるかのやうだつた。

 戰亂を不安、多くに屍と夥しい血が、金閣の美を富ますのは自然であつた。もともと金閣は不安が建てた建築、一人の將軍を中心にした多くの暗い心の持ち主が企てた建築だつたのだ。美術史家が様式の折衷をそこにしか見ない三層のバラバラな設計は、不安を結晶させる様式を探して、自然にさう成つたものにちがひない。一つの安定した様式で建てられてゐるとしたら、金閣はその不安を彷攝とすることができずに、とつくに崩壊してしまつてゐたにちがひない。

 ・・・・・それにしても、箒の手を休めて何度か金閣を仰ぎながら、私にはそこに金閣の存在することがふしぎでならなかつた。いつかのやうに、たつた一夜、父と共にここを訪れたときの金閣は、却つてこんな感じを與へなかつたのに、これから長い年月をクラスあひだ、いつも金閣が私の眼前に在ると思ふことは、信じがたい心地がした。

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このページは、宝徳 健が2014年10月 5日 09:26に書いたブログ記事です。

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