金閣と自分の感情を交錯させてゐるこの描写は、三島由紀夫ならではです。
つづきです。
つづきです。
舞鶴にゐて思ふと、金閣は京都の一角に、恒常的に在るやうに思はれたが、ここに住むことになると、金閣は私の見るときだけ私の完全に現jはれ、本堂で夜眠つてゐるときなどは、金閣は存在してゐないやうな氣がした。そのため、私は日に何度となく金閣を眺めにゆき、朋輩の徒弟たちに笑はれた。私には何度見ても、そこに金閣の存在することがふしぎでたまらず、さて眺めたあと本堂のはうへ歸りがてら、急に背(そびら)を反してもう一度見ようとすれば、金閣はあのエウリュディケーさながら、姿は忽ち掻き消されてゐるやうに思はれた。
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