金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 かういふ、三島由紀夫や谷崎潤一郎の「美質」な文章を子供のころから讀んでゐると、情緒が出てきます。敗戰後の我が國臣民から抜け落ちたのは、「美質」「情緒」です。我が國に最もぴつたりな言葉です。企業經營も美質を追い求めることが大切です。

 つづきです。
 さて私は、金閣寺周邊の掃除をすますと、やうやく灼熱を加へてくる朝日を避けて、裏山に入つて、夕佳亭へむかふ小徑を登つた、開園前の時間であるから、人影はどこにもなかつた。多分舞鶴の航空隊のそれらしい戰闘機の一編隊が、金閣の上を可成低空で、壓(おさ)へつける轟きを殘して去つた。

 裏の山中に、藻におほはれたさびしい沼、安民澤といふのがあつた。池中に小島があり白蛇塚と呼ばれる一基の五重の石塔が立つてゐた。そのあたりの朝は、鳥のさへづりがかまびすしく、鳥の姿は見えないで、林全體が囀(さへず)つてゐた。

 池の手前には夏草の繁みがある。小徑は低い柵で以て、その草地を劃(かこ)つてゐる。そこに白シャツの少年が寝ころんでゐた。かたはらの低い楓の樹には、熊手が凭(もた)せてある。

 少年はそこらに漂つてゐた夏の朝のしめやかな空氣をゑぐるかのやうな勢ひで身を起こしたが、私を見て、

「何だ、君か」

と言つた。

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このページは、宝徳 健が2014年10月 7日 03:53に書いたブログ記事です。

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