つづきです。
鶴川といふその少年には、昨夜紹介されたばかりであつた。鶴川の家は東京近郊の裕福な寺で、學費も小遣も食糧も潤澤に家から送られ、ただ徒弟の修行を味ははせるために、住職の縁故で金閣寺に預けられてゐるのであつた。夏休みを歸省してゐたのだが、早目に昨夜歸つてきたのである。水際だつた東京辯を話す鶴川は、秋からは臨濟學院中學で私と同級になる筈で、その口早な快活な話しぶりが、昨夜すでに私を怖氣づかせてゐた。
そして今も、「何だ君か」と云はれると、私は口の言葉を失つた。が、私の無言が、彼には一種の非難のやうに解されたらしかつた。
「いいんだよ、そんなにまじめに掃除なんかしなくても。どうせ見物が來れば汚されちやふんだし、その見物の數も少ないんだから」
そして今も、「何だ君か」と云はれると、私は口の言葉を失つた。が、私の無言が、彼には一種の非難のやうに解されたらしかつた。
「いいんだよ、そんなにまじめに掃除なんかしなくても。どうせ見物が來れば汚されちやふんだし、その見物の數も少ないんだから」
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