凛として 十九

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 つづきです。
 大正九年一月八日、二人はグラスゴーのカルトン登記所で結婚の宣誓を行った。リタの母や周囲の反対によって、教会で式が挙げられなかったのだ。

 結婚を急いだのには理由があつた。政孝は精力的に蒸留所見学を続けていたが、その年、キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所で数か月の研修が決まっていた。二人はもはや離れ離れでいることはできなかった。グラスゴーの港から船で五時間。二人の新婚生活はキンタイヤ半島の先端にあるキャンベルタウンで始まった。ここも全盛期には三十以上の蒸留所が集まったウイスキー産地だった。

 ヘーゼルバーン蒸留所の工場長は、恩師の友人だった。それまで訪ねたほとんどの蒸留所でメモや質問は断られ、トイレに行っては忘れないようにメモしていた政孝だが、ここでは理論立てて、じっくり学ぶことができた。

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このページは、宝徳 健が2014年10月14日 04:17に書いたブログ記事です。

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