珈琲の思ひ出 弍

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 社會人になつたからの私は、広島・德山(實習)→郡山出張所(福島県)→千葉支店→本社→名古屋支店→大阪支店(後に關西支店)でした。

 広島・德山は3ヶ月です。
 でも思ひ出深い土地でした。広島カープの惡口を言つたら降ろされるタクシー、おいしい魚料理、博多と似ている町並み、エッチな場所、三段峡などの自然の豊かさ、西条などの美味しいお酒、帝國海軍航空隊があつた呉・・・・。充實した三ヶ月でした。

 郡山時代の営業担当は浜通りです。さう、東北地方・太平洋沖地震のときに大騒ぎになつた地区です。新入社員の時に、福島第二原發にタービンオイルを納入する手傳ひをしました。配管に本當に目の細かいメッシュの布を入れ、試油を流します。布を取り出して、エーテルで洗います。そこにほんの少しのチリが見られたらやり直しです。エーテルで酔拂つてしまひ頭はクラクラです。何度やり直しただらう。何日續けただらう。氣の遠くなるやうな時間と作業を終了して、大きなローリーが運んできたタービンオイルを原發の中に入れた時のあの感動は今でも忘れません。福島第二原發は、ジェネラル・エレクトリック社の第一原發と違つて我が國産です。言ひたいことはお分かりいただけると思ひます。

 關東以東に住んだことがなかつた私は、郡山の生活をとても新鮮に感じました。夜、ロックでウイスキーを飲んでいてそのまま寝てしまつても、朝氷が溶けていない寒さ。息を呑むよやうな、猪苗代湖の美しさ。鮭定食のおいしさ。抜群にうまい蕎麦。会津の面白さ・・・。枚挙に暇がありません。

 仲良くなりさうな女性もいたのですが、ダメです。私は女性にこまめになれないのです。だからまつたくモテない。當時は、女性にこまめに接する男性を見てゐて「あ~、めんどうくさ。よくあんなことできるわ」と思つてゐました。最低です。

 そして、千葉→本社とわたり(この二つは後日)、いよいよ名古屋勤務です。ここでもいろいろな思ひ出がありますが、なんと言つても、喫茶店の思ひ出です。愛知県・岐阜県の人たちは、本當に喫茶店が大好きです。社會人になつて、グつと珈琲の存在が近くなりました。 つづく

【缶コーヒーの發明】
 缶コーヒーはUCC上島珈琲の創業者 上島忠雄氏が考案しました。上島氏が朝、駅の売店でコーヒー牛乳を飲んでいたところ、電車が予定より早く出ることになり、殘さざるを得ませんでした。なので
「いつでも、どこでも飲める珈琲」を作つたさうな。」

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このページは、宝徳 健が2014年10月17日 02:32に書いたブログ記事です。

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