金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 なんだらう?この不思議な氣持ちは。正しい日本語の修行を續けてゐると、心がほのぼのとしてきます。

 もともと日本は、「言霊(ことだま)のさきあふ國」といふ美しい國でした。「こころ と コト と言葉(ことのは)」が一致するといふ人間社会では奇跡のやうな社会を築いてきました。

 それを敗戰後の私たちがむちゃくちゃにしてしまひました。そして、敗戰後に生きる私たちは、「それが正解」だと誤解し、「それが進化だ」と愚かな考へを持ちます。なんともはやなげかはしい。

 では、金閣寺のつづきです。
 それは明日から學校がはじまる日、夏の最後の日の午後であつた。住職は副執事を連れて、どこかの法事に賴まれて出かけてゐた。鶴川は私を映畫に誘つた。しかし私が氣乘薄だつたので、彼も忽ち氣乘薄になつた。鶴川にはさういふところがあつた。

 私たち二人は數時間の暇をもらつて、カーキいろのズボンにゲートルを巻き、臨濟學院中學の制帽をかぶつて本堂を出た。夏の日ざかりのことで、拝觀者は一人もなかつた。

「どこへ行かう」

 私はそれに答へて、どこかへ行く前に金閣をしみじみ見てゆきたい、明日からはこの時刻に金閣を見ることはできなくなるし、ワレワレガ工場へ行つてゐる留守に金閣は空襲で燒かれてゐるかもしれない、と言つた。私のたどたどしい言譯はしばしば吃り、鶴川はそのあひいだ、呆れたやうなじれつたい表情できいてゐた。

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このページは、宝徳 健が2014年10月24日 08:50に書いたブログ記事です。

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