金閣寺(本當の日本語)

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 私も金閣には何度も行つてゐますが、金閣をこのやうに表現しようと思つたことはありません。三島由紀夫の語彙力、表現力、創造力、發想力には脱帽です。本當の日本語の威力はすごいですね。

 つづきです。
 晩夏のしんとした日光が、究竟頂に金箔を貼り、直下にふりそそぐ光は、金閣の内部を夜のやうな闇で充たした。今まではこの建築の、不朽の時間が私を壓し、私を隔ててゐたのに、やがて燒夷彈の火に燒かれるその運命は、私たちの運命にすり寄つて來た。金閣はあるひは私たちより先に滅びるかもしれないのだ。すると金閣は私たちと同じ生を生きてゐるやうに思はれた。

 金閣をめぐる赤松の山々は蟬の聲に包まれてゐた。無數に見えない僧が消災呪を稱へてゐるかのやうに。(すみません、ここからお經に入つてゐるのですが、變換できません)。

 この美しいものが遠からず灰になるのだ。と私は思つた。それによつて、心象の金閣と現實の金閣とは、繪絹を透かしてなぞつて描いた繪を、元の繪の上に重ね合はせるやうに、徐々にその細部が重なり合ひ、屋根には屋根に、行けに突き出た漱淸は漱に、潮音洞の勾欄に、究竟頂の華頭窓は華頭窓に重なつて來た。金閣はもはや不動の建築ではなかつた。それはいはば現象界のはかなさの象徴に化した。現實の金閣は、かう思ふことによつて、心象の金閣に劣らず美しいものになつたのである。

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このページは、宝徳 健が2014年10月30日 08:06に書いたブログ記事です。

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