安倍内閣の移民政策の合理性がご理解頂けてゐるでせうか?のべつまくなし支那人や朝鮮人を受け入れるということではありません。高度人材です。
移民に積極的なのは、元日銀副総裁の岩田一政氏と經濟學者の吉川洋氏です。この二人は、財務省増税派と日銀デフレ派に盲従してゐる、國家破壊者です。
不法残留外國人の激減は、2012年に導入された在留カードの存在が大きいのです。それまでの入管法では、中長期滞在者に對して外國人登録証明書を發行してゐましたが、なんとなんと、不法残留者の存在を確認するためといふ不思議な理由で、不法残留者にも出してゐました。
とにかくほとんどのメディアは信じられません。自分たちに都合の惡い事實を隱します。一體なんの爲のメディアなのでせうか?今の政府が進めようとしてゐるのは移民政策ではありません。なのに「移民反對」と叫んでゐる人がたくさんゐます。
※ホームページに固定資産税の削減方法を掲載してゐます。http://soepark.com
そうだ。昨日紹介した「狼の牙を折れ」の著者は門田隆将さんです。彼はいい。最近まで、私は、捻じ曲がつた史観で臣民を騙す 司馬遼太郎と左翼山崎豊子に騙されてゐました。彼らの筆の強さに騙されてゐました。だから、本を讀むときに疑ふ癖がついてしまひました。でも門田さんはいい。これだけ事實が列挙されたノンフィクションを讀まされると納得します。
さて、「安倍政權が移民政策を進めてゐる」といふ批判があります。まったく的外れです。數囘に分けて解説します。
特攻は「熱望」「望」「否」で出陣するものを募りました。つまり、その三つの選択させたのです。現在の多くの書物は、「熱望を選択せざるを得ない雰囲気だつた」と書いてゐます。まつたくの嘘です。「望」を選択した者でも特攻には行かせませんでした。
なぜ、事實をねじまげて、我が國を落とし込めようとするのだらうか?
今日は、早稻田大學 斎藤勇命です。二囘に分けて紹介します。
小樽へは何度か足を運んだことがあるのですが、ニッカ工場へは立ち寄つてゐません。
ニッカ工場といへば、學生時代に過ごし、今も、父と妹の生活拠点になつてゐる北柏にニッカ柏工場(千葉県柏市:北柏)がありました。よく手入れの行き届いたテニスコートを何度か使はせていただきました。年に一度、工場が解放され、社員の皆さんによる屋台が出て、ウィスキーが市民にふるまはれます。
おいしかつたな~。學生でしたので、ウイスキーはあまり飲んだことがありませんでした(當時ウイスキーは高級だつた)。
その後、仙台工場になにかのきつかけで行つたときにいただいたスーパーニッカののどごしはなんともいへませんでした。
今住んでいる西宮にも工場がありますが、行つたことはありません。
さて、リタさんの話のつづきです。
今日から、七十二候 五十九候 小雪 次候 「朔風拂葉」です。「きたかぜこのはをはらふ」と讀みます。
北風が木の葉を拂ひのける頃です。
木の葉か~。
私は同時に数冊の本を讀むのですが、たまたま昨日は、三冊同時に讀みをはりました。
讀んだことはなかつたのですが、「勝谷誠彦」といふ人の「坂の上のバカ」「バカが国家をやっている」を讀みました。まつたくダメです。
知らない言葉や漢字ばかりです。敗戰後の不埒な教育がいかに間違つてゐるかがわかります。つづきです。
繰り返します。一部の不埒な國を除いて、誰しも戰爭は嫌です。死ぬのは怖いのです。愛する人と別れたくはありません。こんなことは當たり前のことです。
でも、先の大戰で、英霊たちは、かつてのあの美しい我が國を守るため、そして、愛する人を守るために、それを凌駕する崇高な精神で、私たちに命を捧げてくださいました。その崇高な精神が我が國にはあつたのです。それを私たちが知ることは我が國臣民としての義務です。
今の私たちの生き方は、それを侮辱してゐます。こんな私たちのために英霊たちが命を捧げたことを思ふと、自分自身が情けなくなります。
集団的自衞權の閣議決定の際、私たちは何をやりましたか?! 愚かなる公明黨により、ポジティブリストとなりました。それを國民は支持しました。あの議論は「自衞隊員よ、いざとなつたら命を懸けて戰つてくれ。ただし、お前らの死ぬ確率を髙めてやつたからな」ということを意味します。氣づいてゐる臣民が何人ゐるのだらうか?
片や財務省や日銀などの官僚はネガティブリストで政治を無視して好き放題やつてゐます。我が國のあの敗戰は、官僚のネガティブリストが最大の原因でした。
世界最強の帝國陸海軍がなぜ敗れたか。それは、軍の官僚化です。
英霊たちの事を知るたびに申し訳ない氣持ちでいっぱいになります。
昨日も書きましたが、十一月二十三日は、勤労感謝の日などといふくだらない名前ではなく、新嘗祭です。もしかしたら、これを讀めない(國籍だけの)日本人もゐるのでは・・・・。恐ろしいことです。國が潰れます。
國が潰れると云へば・・・。
和田山儀兵中尉のつづきです。敗戰前の美しかつた我が國の婦道とはすごいものですね。この婦道に我が國は支へられてゐました。今は、まつたくこの婦道が消滅してしまつたことも、我が國衰退の大きな要因となつてゐます。
衆議院が解散されました。メディアは「大義なき解散」とのたまいます。それに臣民が騙されます。まつたく愚かです。今回、解散しなければどうなつてゐたかをまつたく考へてゐません。
昨日から、七十二候 五十八候 小雪 初候 「虹蔵不見」です。「にじかくれてみえず」と讀みます。
小雪とは、寒さがすすみ、雪が降り始めるころです。立冬から數へて十五日あたりです。冬支度が始まる頃でもあります。
そして、虹蔵不見は、虹を見かけなくなるころです。
今日で第五章は終はりです。次回から第六章です。リタさんのことに話の内容が移つてきます。
いろんなことがあつた一日でしたね~。
まずは、サッカー。もういいかげんにしてほしい。サポーターと呼ばれる人たちよ!日の丸の赤い所に字を書くな!!! お前らそれでも日本人か!!! サッカーを觀る度に腹が立ちます。
高倉健さんが亡くなりました。私が中學浪人するきつかけとなつた、東筑高校出身です。なんでも、今でも、高倉健さんがつけた壁だか柱高の傷があるさうです。
中學・高校を過ごした福岡は、硬派がかつこうよかつた(今は知りませんが)、大學で上京した時に、「なんや? 東京っちゃ、軟弱な男の集まりかね」と思ひました。
我が國の國體をしつかり學ばなければ、この氣持ちは理解できないでせう。今の、臣民は本當に不勉強です。日本人なのに古事記も讀まない。これで民主主義をやられては、間違つたマジョリティが國を壊してしまひます。
誰でも戰爭なんてしたくない(一部の國を除いて)。誰でも愛する人と別れたくない。その人間としての當たり前の感情をはるかに凌駕する崇高なる精神が、かつての美しかつた我が國にはあつたのです。我が國の國體を知らないと、それを理解することはできません。つまり、今の多くの日本人(間違つたマジョリティ)は、國籍だけが日本人なだけです。
その精神を知らないといふことは、英霊たちの顔にツバキをはきかける行爲に等しいのです。それでいいのでせうか? こんな國にするために、英霊たちは、命を捧げてくれたのではありません。
前回の和多山儀平命のつづきです。
つづきです。この言葉の使い方、語彙、文章・・・たまりませんね。知らない言葉・・・知らない言葉の使い方・・・・ 敗戰後の教育を受けた私がいかに日本語を知らないかを思い知らされます。
昨日から七十二候 五十七候 立冬 末候 「金盞香」です。「きんせんかさく」と讀みます。
「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」
時の愚かな官房長官 宮沢喜一が教科書検定として発表した近隣諸国条項の追加内容です。これで我が國は、他國の意見を聞かなければ教科書を作れなくなりました。
發端は、もちろん売國奴 朝日新聞のデマ記事です。
やつとリズムが戻つてきました。ちよつとリズムを崩してゐました。誰の責任でもありません。ほんの少しの気のゆるみが自分を少しずつ蝕みリズムを崩していたのです。
Wさんのお店が社内旅行で九州に行きました。先日、カット&カラーをしてもらいに行つたとき、寫眞をみせてもらひました。
五月のよく晴れた日であった。インクラインはもう使はれてゐず、船を引き上げる斜面のレールは錆びて、レールはほとんど雑草に埋もれてゐた。その雑草には白いこまかな十字形の華が風にわなないてゐた。インクラインの斜面の起こるところまで、汚れた水が淀み、こちら岸の葉櫻並木の影をどつぷり涵(ひた)してゐた。
私たちはその小さな橋の上で、何の意味もなしに、みずのおもてを眺めてゐた。戰爭中の思ひ出のはうばうに、かういふ短い無意味なじかんが、鮮明な印象でのこってゐる。何もしてゐなかつた放心の短い時間が、時たま雲間にのぞかれる青空のやうにはうばうに殘つてゐる。さういふ時間が、まるで痛切な快樂の記憶のやうに鮮やかなのはふしぎなことだ。
「ええもんやな」
と私はまた、何の意味もなく、微笑して言つた。
「うん」
鶴川も私を見て微笑した。ふたりはこのニ三時間が自分たちの時間であることをしみじみ感じてゐた。
ここ數日、日經、産經、讀賣の三紙を讀んでゐます。面白い情勢になつてきました。
しかしながら、日經はひどい。完全なる財務省御用新聞です。ほんの少しマクロ經濟を學べば、今の消費税増税がいかに間違ひであることかはすぐにわかります。今、消費税を上げたら我が國の經濟は破綻します。それと「消費増税」は正しい言葉ではありません。「消費税増税」です。
「國の借金」ではありません。「政府の借金、臣民の資産」です。もうめちゃくちゃです。
ミクロ經濟とマクロ經濟はまつたく内容を異にしてゐます。
まあ、このことについてはまたゆつくりと話しませう。
さて、もう十一月半ば。はやか~。
和多山儀平命
熊本県出身
熊本高等工業
海軍第七期兵器整備予備學生
大正十二年一月五日生まれ
昭和十九年十一月十七日沒
満二十一歳
海軍中尉
和多山中尉jは、昭和十九年十一月、第九三一航空隊に所属し、航空母艦「神鷹(しんよう)」に乘艦、「七八一船團」を護衛して門司を發し、シンガポールに向け航行中の同月十七日、済州島西方洋上において敵潜水艦を魚雷攻撃を受け、「神鷹」は沈沒、中尉も艦と運命を共にしました。
この方の日記を何回かにわけて紹介します。和歌が素晴らしい。どうして私たちは、日本人として當たり前の和歌さへ詠めなくなつてしまつたのでせうか。
今は、七十二候 五十六候 立冬 次候 「地始凍」です。「ちはじめてこほる」と讀みます。
イスラム國が國際政治を騒がしてゐます。まあ、中東を混乱に陥れたのは、歐米です。彼らはキリスト敎秩序がすべてなので、いつも世界を惡に導いてしまひます。
國際法にしてもさうです。
先日、熊本に行つた際に、空港で筑紫もちと云ふお菓子を賈ひました。
熊本で大好きなBB社長とお會してきました。
馬刺しなど熊本のご馳走をたくさんいただきました。なんでも、熊本で馬が食べられたのは、加藤清正が朝鮮へ派兵した時からだそうです。飢えて飢えて、すさまじい飢えが加藤軍を襲います。
しかたがなく、馬を食べることにしました。だから、長野や福島と違つて、内臓などすべてを食べる習慣が殘つてゐるさうです。
では、からし蓮根は?
今日は、息子の誕生日です。この前生まれたかと思ったら、なんともう二十二歳です。
世界親ばか選手權チャンピオンの私としてはうれしくてしかたがありません。
今日から七十二候 五十五候 立冬 初候 「山茶始開」です。「つばきはじめてひらく」と讀みます。山茶花が咲き始めるころです。
倉元利雄命
鹿児島高等商業学校 鹿児島県出身 陸軍特別操縦見習士官一期
大正三年十一月二十三日生まれ
昭和二十年五月十一日沒 満三十歳 陸軍大尉
倉元さんは昭和二十年二月十五日に三重県亀山飛行場に近い熱田神宮で結婚式を挙げました。妻 喜美子さんとお母さんは空襲のため志気を挙げただけで、その日のうちに郷里に歸りました。
二十年五月四日、倉元少尉(軍隊では軍事行動で亡くなつたら二階級特進をします。なので最後は大尉です)は特別攻撃隊「第六十振武隊」隊員として四式戰闘機疾風に搭乗、僚機六機とともに都城基地を出撃しました。
渡部はいう。
「つぶれそうな工場によくいるなあと友人にも言われましたよ。でも、働けるだけでもありがたいし、不安はなかった」
「良いものをつくれば必ず売れる」と、政孝は信念をもって社員に説いたからだ。渡部は戦後、倉庫に当時のゼリーが残っているのをみつけ、食べてみたことがある。
「何も変わってなくて、普通に食べられた。丁寧に作った本物だからですよ。サッカリンを使ったりは絶対にしない。私たちはちゃんと良心的なものをつくっていたのがわかってうれしかった」
ウイスキーを蒸留するためのポットスチルは十年冬、ようやく一器が届く。
「これさえあればリンゴ・ワインやリンゴ・ブランデーをつくることができる」
政孝は売れ残ったジュースを酒にすることを考えていた。社員たちは、今度は返品されたジュースの中身を釜に空ける作業にも追われた。
設立二年目で赤字は莫大なものになっていた。政孝はこの頃のことを多くは語っていない。
明々後日から立冬です。冬は黑冬(こくとう)といつて、黑であらはされます。曹洞宗の祖 道元は「冬雪さへてすずしかりけり」と詠んでゐますが、冬はやはり寒いものです。暖房がない時代にはつらかつたことでせう。
でも、私たちの祖先は、その冬さへも樂もうとする強い意志がありました。
もうすぐ雪が降りますね。稚拙な英語では「snow」といふ言葉しかありませんが、言霊のさきあふ我が國では雪にもさまざまな表現があります。まつたく小學校から英語などとんでもない話です。情緒のない人間を育て、あの野蛮な歐米人にならうといふのでせうか?
では、我が國のすばらしい情緒を雪を通して觀ましょう。
靖國神社 遊就館に行くと「いざさらば 我はみくにの 山桜」といふ本が賣つてゐます。あまりにも素晴らしいので紹介します。著作權違反に問はれても結構です。
今回は、植村眞久命(我が國は、命を閉ぢたらみんな神になります。だから命がつきます。そして柱と數へられます。國を支へるから柱です)を紹介します。
東京都出身 海軍第十三期飛行科予備學生 昭和十九年十月二十六日沒 満二十五歳 海軍大尉(海軍では「だいいい」と呼びます)。
いろいろなドラマで、かなり良い内容なのに、戰爭のこととなると、惡のやうに表現することが常となつてゐる我が國です。英霊たちに失礼です。誰も戰爭などはしたくありません。當たり前です。愛する人を失ひたくない。當たり前です。
しかし、あの不埒な歐米列強は容赦なく我が國を痛めつけました。國家の存亡がかかつてゐるほどに。そして英霊たちは立ち上りました。愛する人と國家のために。それの何が惡なのでせうか。英霊たちに失礼です。もし、今、英霊たちがNHK朝ドラを觀たら、愕然とするでせう。
かつての我が國には、崇高な精神がありました。それを見つめませう。
現代の私達に、二十五歳でこの手紙が書けるでせうか!!!
どうしてかういふ日本語の表現が使へるのだらう。私にはとうてい及びません。でも、いつか使へるやうになりたい。正しい日本語を・・・。
士魂商才十月號がまだ完成してゐません。讀者の皆様すみません・・・。もう少しお待ちください。
さて、十月二十六日の日曜日、北陸事務所にいるとき少し時間があつたので、何軒かお寺も巡りました。北陸事務所の近くにある羽賀寺(はがじ)です。
今日は、文化の日ではありません。明治時代は天長節(天皇陛下の誕生日)であり、大正時代以降は明治節です。文化の日などといふ抽象的で譯のわからない名前など棄てましょう。
さて、メディアは「知る權利」を主張しますが、「知る權利」を一番犯しているのはメディアであることを一つの事例を通して紹介しましょう。
我が國に戰犯はいません。これを知つてゐる臣民が少ないことに驚きを感じます。メディアが報道しないからです(最も不勉強な臣民が一番惡いのですが)。
※今日のホームページに掲載した平成二十七年度の中小零細企業関連施策は「小規模事業者經營発達支援事業」です。
だんだんと主人公の金閣へ對する愛情が出てきています。展開が樂しみです。
消費税増税議論のなかに、いまだに「國の借金」とメディアはのたまいます。メディアといふのは眞實を報道するところではないのか?我が國に「國の借金」など存在しません。
今日から、七十二候 五十四候 霜降 末候 「楓蔦黄」です。「もみじつたきばむ」と讀みます。
もみじや蔦が黄葉する頃です。
不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。
今日、十一月一日は古典の日です。源氏物語千年の際に作られました。
間違つた嘘の日本語を學んできた私たちは、古典を讀む力が不足してゐます。
なんと現代假名遣ひに古典を書き直す愚かな行いもあります。致知出版社が學問のすすめや武士道をわかりやすくした本を出版してゐます。最初は、いいかなあと思つてゐましたが、これはいけませんね。
古典をきちんと讀めるやうにしていく運動が大切であつて、レベルが低いものにあはせやうとする行いは、國の力を衰退させます。かういふのを「向上」ではなく「向下」といひます。今の社会の風潮です。
嘘を學び、嘘のはうが眞實だと思ひ、そして、嘘の世界を進化した社會と勘違ひしてしまふこの現代社會をなんとかしないと、私たちは、次世代に正しい我が國、かつてあのやうに素晴らしかつた我が國を引き繼ぐことができません。
さて、古典の日に関する法律なんてものがあるのですね。國會もなかなか粋なことをします。
金閣が灰になるかもしれない・・・・・・といふ描写が見事です。これが後々の事件につながります。