どうしてかういふ日本語の表現が使へるのだらう。私にはとうてい及びません。でも、いつか使へるやうになりたい。正しい日本語を・・・。
明日こそは金閣が燒けるだらう。空間を充たしてゐたあの形態が失はれるだらう。・・・そのとき頂きの鳳凰は不死鳥のやうによみがへり飛び翔つだらう。そして形態に縛(いま)しめられてゐたきんかくは、身もかるがると碇を離れていたるところに現はれ、湖の上にも、暗い海の潮にも、微光を滴らして漂ひ出すだらう。・・・・・
待てども待てども、京都は空襲に見舞はれなかつた。あくる年の三月九日に、東京の下町一帯が火に包まれたといふしらせをきても、災禍は遠く、京都の上には澄んだ早春の空だけがあった。
私は絶望して待ちながら、この早春の空が、丁度きらめいてゐる硝子窓のやうに内部を見せないが、内部には火と破滅を隱してゐることを信じようとした。
待てども待てども、京都は空襲に見舞はれなかつた。あくる年の三月九日に、東京の下町一帯が火に包まれたといふしらせをきても、災禍は遠く、京都の上には澄んだ早春の空だけがあった。
私は絶望して待ちながら、この早春の空が、丁度きらめいてゐる硝子窓のやうに内部を見せないが、内部には火と破滅を隱してゐることを信じようとした。
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