息子の誕生日

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 今日は、息子の誕生日です。この前生まれたかと思ったら、なんともう二十二歳です。

 世界親ばか選手權チャンピオンの私としてはうれしくてしかたがありません。
 いろいろなことがあつたなあ。幼稚園から小學校低学年の頃は、とにかく自分に自信のない子でした。女房はやきもきしていましたが、私は「そんなことは関係ない」と思い、彼には「世界中の人間が〇〇の敵にまわつても、父さんだけは何があつても〇〇の味方だからね」とぎゅーっと抱きしめてあげてゐました。

 小學校高学年から少し自信がついてきたかな。よく勉強を聞いてくるやうになりました。私からは勉強しろとは言つたことはありませんが、彼からリクエストがあつたときは、とことんつきあひました。

 私が休日で家にいるときは、いつもそばにくつついてゐました。

 中學生になつてスポーツを始めてからはかなり自信がついたやうです。みちがへるやうに逞しくなりました。

 高校は第一志望を落ちて、地元の(學業的には)三流(失礼)高校に入りました。このときは「大丈夫かな」と思ひましたが、彼が「お父さん、僕大丈夫だよ。中學でやりのこしたことがあるから、それをきちんとやつてから高校に入るよ」と言つてくれたときは、とてもうれしく思ひました。

 どの頃かなあ、私の事業が極端に苦しくなり、カミさんにも言えない時がありました。苦しくて苦しくて、一瞬「生命保険が入つたら借金が返せるかな」と馬鹿なことも考えたことがありました。小さな彼に「お父さん、今、仕事とお金がとても苦しいんだ」と言つたことがありました。「大丈夫だよ、お父さん。お父さんは強いから」

 この彼の言葉にどれだけ救われたか分かりません。

 高校以降は、まつたく心配してゐません。それどころか、大學は授業料半額免除、奨學金で行つてくれました。私が出したのは、家から學校までの定期代だけです。

 高校から大學まで、体育会陸上部中距離の選手でした。レギュラーにはなれなかつたみたいですが(と思ひます。あまり聞いたことがない)、やり通しました。

 就職も決まりました。ちよつとさびしい氣がします。彼は、親に物をねだるといふことをほとんどしませんが、本だけはねだります。これもうれしい。

 彼は、カミさんとはよく喧嘩しています。カミさんから「もつと〇〇を怒ってよ!」と彼が小さい時からよく言われますが、ファンはアイドルを怒ることはできません。それに、私の子供の時より、何倍も優秀な人間を怒る資格など私にはありません。

 私の一番の寳物は彼からもらつたニッスイソーセージのおまけのポケモンカードです(カモネギ)。今でも肌身離さず持つてゐます。私の誕生日の時に「お父さん、僕はお金を持つてゐないので、お父さんに何も買うことができない。だから、僕が一番大切にしてゐるものをあげるね」と言つてからくれました。もう彼は覺へてゐないでせうね


 〇〇、生れて来てくれてありがとう。どんなに苦しい時でも、〇〇がいてくれたから、一瞬たりとも幸せでなかつた時がありません。心から感謝します。社會人になつても力を盡くして生きてください。人生の不都合、不合理、鬱陶しさを受け止める、負けない強さを身に着けてくれたら、もう父さんは、〇〇に對して何も云ふことはありません。

 父さんは、〇〇を心から愛しています。いつまでも。

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このページは、宝徳 健が2014年11月 6日 11:09に書いたブログ記事です。

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