凛として 三十五

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 つづきです。
 余市蒸留所(北海道余市市)に当時、世界的に有名だったテノール歌手の藤原義江らを呼んで公演も行った。妻のリタも、慰安会ではドーナツを百個以上、社員全員に二個ずつ作ってふるまった。

「当時は珍しくて、リタさんが作るお菓子が楽しみでもあった。竹鶴さんはみんなで遊ぶのが好きで、どうやったら楽しめるか、アイデアを出すのが本当に上手な人でした」

 この慰安会は定例化していく。昭和二十年に入社した工藤光家は二十四年から、この宴会の司会進行役に指名される。

「竹鶴さんの『始めるか』の声で宴会が、歌謡大会になるんですよ。島倉千代子さんが好きで『誰か千代ちゃんの歌を歌え』とか言う。だれにどんな歌を歌わせるか大変でした。妻の妹が島倉さんの歌を得意にしていて助かったなあ」

 政孝の十八番は謡曲「猩々(しょうじょう)」の一曲だけ。最後は「雪の降る町を」か「アカシアの雨が止む時」を社員全員で合唱して政孝を送り出すのが恒例だった。この宴会は昭和五十年代まで続いた。

 ただ小山内は後に各地の工場長や役員を歴任したが、政孝のまねはしなかったという。
「こういう遊びは竹鶴さんとリタさんがやるから値打ちがあるんです。特別な二人でした」

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このページは、宝徳 健が2014年11月12日 03:33に書いたブログ記事です。

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