英霊たちの言霊(ことだま) 其の參

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 和多山儀平命

 熊本県出身
 熊本高等工業
 海軍第七期兵器整備予備學生
 大正十二年一月五日生まれ
 昭和十九年十一月十七日沒
 満二十一歳
 海軍中尉

 和多山中尉jは、昭和十九年十一月、第九三一航空隊に所属し、航空母艦「神鷹(しんよう)」に乘艦、「七八一船團」を護衛して門司を發し、シンガポールに向け航行中の同月十七日、済州島西方洋上において敵潜水艦を魚雷攻撃を受け、「神鷹」は沈沒、中尉も艦と運命を共にしました。

 この方の日記を何回かにわけて紹介します。和歌が素晴らしい。どうして私たちは、日本人として當たり前の和歌さへ詠めなくなつてしまつたのでせうか。

 今朝方實に言ひ樣のない夢を見た。誌すことにする。昭和十九年二月二十一日

 場所、母の實家、大島の海岸、軍刀を吊るして見慣れた家の前の防波堤より降りて、之を最後と八代の家に歸へらうとする時、渚より母は眼を涙に浮かべつゝ實に忘れられぬ顔をしながら「儀平しやん、何も想ひ殘スことはないから一生懸命働いて天皇陛下の御爲に死んで來なさい」と胸にすがつて泣くのである。私は万感胸に迫り言ふ術を知らず(中略)母上は歌さへよく讀まぬ樣だ。しかしながら、決して取り乱してはゐない。ひたすら皇軍に捧げた吾子との別れに生じ來る別離のかなしみと武運を禱る心との交代する複雑な面わである・・・私を送るのである。(中略)気がつけば甲板の釣床の中。

 わが胸に 顔を押しつけ しばしのま はなれたまはぬ かなし母刀自(ははとじ:母と思つて使う言葉)

 たちがたき 恩愛の絆 しみじみと 想ひかへさる 別れゆく身は

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このページは、宝徳 健が2014年11月15日 13:50に書いたブログ記事です。

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