凛として 三十七

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 つづきです。
 社員のリクレーションでもスポーツに特に力を入れた。社員は必ず何かスポーツ部に参加しないといけない決まりだった。野球、テニス、卓球、剣道、相撲など次々とクラブができた。

 社内で盛んだったのが野球だ。各部署で対抗戦も行った。

 研究室にいた柴田義明も懐かしむ。

「部にっては人が足りないから若手はよく駆り出されてね。笠谷君も助っ人で参加してましたよ」

 「笠谷君」とは昭和四十七年、札幌オリンピックの七十メートル級ジャンプで金メダルを獲得した笠谷幸生のことだ。

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このページは、宝徳 健が2014年11月16日 09:20に書いたブログ記事です。

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