和田山儀兵中尉のつづきです。敗戰前の美しかつた我が國の婦道とはすごいものですね。この婦道に我が國は支へられてゐました。今は、まつたくこの婦道が消滅してしまつたことも、我が國衰退の大きな要因となつてゐます。
中尉のこの強固な意志は、父母や家族、特にお姉さんの智子さんの勵ましに支へられてのものでした。中尉は日記の中でかう述べてゐます。
「家族の諒承ありて王事に勤るを得るは實に日本人に生まれて最大の幸福なりと言ふべし。今まで如何に多くの志士が、母の言葉に又つまの言葉に歓喜を覺へて又覺悟を決めてその道に勵みしか。又目先の事のみによりて家庭に生まれ幸福に今軍務に勵みゐるなり。尚、一層奮勵せざるべけんや」
また、智子さんの手紙の以下の一節を日記に寫してゐます。
「自分の信念に向かつて忠なるますらをのゆくとふ道を邁進されん事をお祈り致します。今まで貴方等の精神がかくも友人と相呼應されてゐたか、全く感心致しました。益々學業に精勵しあらゆる點に於いて貴方等の精神を全人類に示してやりなさい」
そして、この和歌を詠んでゐます。
ますらをの ゆくとふ道を ますぐにぞ 進めと言はすか 吾が姉上は
茨路を いゆきなやめる あがどちを 勵ましたふか 家なる人らは
姉宛への手紙にもかう記してゐます。
「姉さんから實に限りなき心盡しを頂き御厄介になつて來た事を近頃は特に身に泌みて感じます。此の事を想起する度に「後れてはならじ」と心に誓ひつつ、戰闘意志を燃へたたしてゐるのであります。君の恩、親の恩、友の恩、そして私は誇らかに姉の恩を友に語る事が出來る樣になりきつてゐます」
智子姉さんは、中尉沒後、その藁半紙に記したる膨大なる遺稿類を後の世に傳へるべく、丹念に讀み返し、浄書されたさうです。
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