英霊たちの言霊(ことだま) 其の四

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 我が國の國體をしつかり學ばなければ、この氣持ちは理解できないでせう。今の、臣民は本當に不勉強です。日本人なのに古事記も讀まない。これで民主主義をやられては、間違つたマジョリティが國を壊してしまひます。

 誰でも戰爭なんてしたくない(一部の國を除いて)。誰でも愛する人と別れたくない。その人間としての當たり前の感情をはるかに凌駕する崇高なる精神が、かつての美しかつた我が國にはあつたのです。我が國の國體を知らないと、それを理解することはできません。つまり、今の多くの日本人(間違つたマジョリティ)は、國籍だけが日本人なだけです。

 その精神を知らないといふことは、英霊たちの顔にツバキをはきかける行爲に等しいのです。それでいいのでせうか? こんな國にするために、英霊たちは、命を捧げてくれたのではありません。

 前回の和多山儀平命のつづきです。
 中尉の日記にはこうも書かれてゐます。

「何故斯かる夢を見たのであるか私自身よくわからない。唯私は決して之を望郷心とか家を想ふ心とかを以て解釈する樣な想は起きない。現実に斯かる別離であつても(中略)俺は戦闘意志は大磐石だ。安んじて戰死できる」

 事實、中尉は「神鷹(しんよう)」に乗り組む際、面會に来た家族に「二十日を過ぎても連絡がなかつたら、戰死したものと想つてくれ」と云ひ殘し、あるいは中尉と同期の某少尉が「神鷹」に乘り組む順になつてゐたのを「君は一人息子だ。自分には弟も多い」と自ら乘艦を名乘り出たといひます。

 そして、この強固な意志は、入營しに際して伯父に宛てた遺書に見事に表明されてゐます。つづく

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このページは、宝徳 健が2014年11月19日 08:40に書いたブログ記事です。

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