金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 つづきです。この言葉の使い方、語彙、文章・・・たまりませんね。知らない言葉・・・知らない言葉の使い方・・・・ 敗戰後の教育を受けた私がいかに日本語を知らないかを思い知らされます。
 砂利の廣い道がつづくかたはらには、美しい水草をなびかせて、清冽な水の走つてゐる溝があつた。やがて名高い山門が目の前に立ちふさがつた。

 寺内にはどこにも人影がなかつた。新緑のなかに多くの塔頭(たつちゅう)の甍(いらか)が、巨大な銹銀(しゅうぎん)いろの本を伏せたやうに、秀でてゐた。戰爭といふものが、この瞬間には何だつたらう。ある場所、ある時間において、戰爭は、人間の意識のなかにしかない奇怪な精神的事件のやうに思はれるのであつた。

 石川五右衞門がその楼上の欄干に足をかけて、満目の花を賞美したといふのは、多分この山門だつた。私たちは子供らしい氣持ちで、もう葉櫻の季節ではあつたけれど、五右衞門と同じポーズで景色を眺めてみたいと考へた。わづかな入場料を拂って、木の色のすつかり黑ずんだ急傾斜の団を昇つた。昇り切つた踊り場で鶴川が低い天井に頭をぶつけた。それを笑うた私も忽ちぶつけた。二人はもう一曲りして段を昇り、楼上へ出たのである。

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このページは、宝徳 健が2014年11月19日 08:19に書いたブログ記事です。

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