今日で第五章は終はりです。次回から第六章です。リタさんのことに話の内容が移つてきます。
一方で仕事場での政孝は一切の妥協を許さなかった。ことに「商品の質に通じる」と衛生管理にはうるさかった。
後年、政孝の東京本社勤務が増えたころ、政孝が余市に戻ってくることがわかると、政孝のカミナリを恐れて、社員たちは前日から工場の掃除にはげんだ。
「最初にスコットランドで勉強した竹鶴さんには、日本人に本物を伝えなくては、という強い使命感があったと思います」と宇野はいう。
十二年入社の渡部政治が、兵役を終えて帰宅すると、留守の間に、政孝が家族に毎月四十円を届けていたことをしった。
労働組合をつくるようにと提案したのも経営者の政孝だった。
「戦後、毎日のように物価が上がって苦しかったとき、『いくらあったら生活できるか組合で示せ』とおっしゃった。できる限りのことはするからと」
英国仕立てのダブルの背広に烏打帽。立派なカイゼルひげと、写真に残る政孝は、ワンマンなカリスマ創業者のイメージが強い。しかし、創業初期の社員はみな、政孝のことを敬愛を込めて懐かしそうに語る。
工藤は、今も政孝の話をすると涙が出る。
「仕事を一歩離れたら、尊敬するいいおやじのような存在でした。人生の何もかも教えてもらった」
後年、政孝の東京本社勤務が増えたころ、政孝が余市に戻ってくることがわかると、政孝のカミナリを恐れて、社員たちは前日から工場の掃除にはげんだ。
「最初にスコットランドで勉強した竹鶴さんには、日本人に本物を伝えなくては、という強い使命感があったと思います」と宇野はいう。
十二年入社の渡部政治が、兵役を終えて帰宅すると、留守の間に、政孝が家族に毎月四十円を届けていたことをしった。
労働組合をつくるようにと提案したのも経営者の政孝だった。
「戦後、毎日のように物価が上がって苦しかったとき、『いくらあったら生活できるか組合で示せ』とおっしゃった。できる限りのことはするからと」
英国仕立てのダブルの背広に烏打帽。立派なカイゼルひげと、写真に残る政孝は、ワンマンなカリスマ創業者のイメージが強い。しかし、創業初期の社員はみな、政孝のことを敬愛を込めて懐かしそうに語る。
工藤は、今も政孝の話をすると涙が出る。
「仕事を一歩離れたら、尊敬するいいおやじのような存在でした。人生の何もかも教えてもらった」
コメントする