つづきです。
穴倉のやうなせまい階段から、廣大な景觀へ、忽ちにして身をさらる緊張は快(こころよ)かつた。葉櫻や松のながめ、そのむかうの家並のかなたにわだかまる平安神宮の森のながめ、京都市街の果てに霞む嵐山、北のかた、貴船、箕(き)ノ裏、金毘羅などの連山のたたずまひ、かういふものを十分にたのしんでから、寺の徒弟らしく、履物を脱いで恭しく堂裡へ入つた。暗い御堂には二十四疉といふのである。
南禅寺は同じ臨済宗でも、相國寺派の金閣寺と違つて、南禅寺派の大本山である。私たちは同宗異派の寺にゐるわけである。しかし、並の中學生同樣、二人は案内書を片手に、狩野探幽守信と土佐法眼德悦の筆に成るといはれる色鮮やかな天上畫を見てまはつた。
南禅寺は同じ臨済宗でも、相國寺派の金閣寺と違つて、南禅寺派の大本山である。私たちは同宗異派の寺にゐるわけである。しかし、並の中學生同樣、二人は案内書を片手に、狩野探幽守信と土佐法眼德悦の筆に成るといはれる色鮮やかな天上畫を見てまはつた。
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