凛として 四十一

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 リタの話のつづきです。
 政孝とリタは実子にめぶまれなかった。跡継ぎとして政孝の姉の子、威(たけし:後のニッカウヰスキー相談役)に白羽の矢が立った。広島県福山市で生まれた威は、戦時中は学徒勤労動員によって、千葉県内で燃料用アルコールを作っており、原爆投下の勅語に実家に帰っていた。

 終戦を迎えると、二人は威を呼び寄せるとともに、工場内にあった自宅を歩いてに十分ほどの山田町に移転した。威は北海道大学工学部を卒業した二十四年、大日本果汁に入社した。

 昭和二十六年、威は結婚し山田町の家の離れで生活するようになる。

 妻の歌子は結婚後五年間料理をしたことがない。お嬢様育ちでご飯を炊いたこともない歌子に対して、リタは「そのほうがいいです」と台所仕事をやってみせた。歌子は黙ってノートを取り、竹鶴家の味を覚えた。

 秋になると竹鶴家の家の前にはずらりと樽がならんだ。ウイスキー用ではなく、一年分の大根を漬けるためだ。

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このページは、宝徳 健が2014年11月25日 06:45に書いたブログ記事です。

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