金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 つづきです。
 さうではなかった。われわれの眼下には、道を隔てて天授庵があつた。靜かな低い木々を簡素に植ゑた庭を、四角い石の角だけを接してならべた敷石の徑が屈折してよぎり、障子をあけ放つたひろい座敷へ通じてゐた。座敷の中は、床の間も違ひ棚も隈なく見えた。そこはよく?(ごめんなさい字がありません)茶があつたり、貸茶席に使はれたりするらしいのだが、緋毛氈(ひもうせん)があざやかに敷かれてゐた。一人の若い女が坐ってゐる。私の目に映つたものはそれだつた。

 戰爭中にこんなに派手な長振袖の女の姿を見ることはたえてなかつた。そんな裝ひで家を出れば、道半ばで咎められて、引き返さざるをえなかつたらう。それほど振袖は華美であつた。こまかい模様は見えないが、水色地に花々が描かれたり縫取りされたりしてをり、帶の緋にも金絲が光り、誇張して云ふと、あたりがかがやいてゐた。若い美しい女は端然と坐つてゐて、その白い横顔は浮彫され、本當に生きてゐる女かと疑はれた。私は極度に吃つて言つた。

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このページは、宝徳 健が2014年11月25日 07:02に書いたブログ記事です。

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