つづきです
歌子によると、竹鶴家では、九月から樽を洗い三百六十五本の大根を干し、必ず十一月いつかに漬け始めた。すぐ食べるものと夏まで持たせるものとでは塩加減もかえた。白菜漬けもイカの塩辛つくりもリタの仕事だった。
「塩辛はどんなに冷たくても母は毎日素手でかき混ぜていました。人間の温度が塩辛をおいしくするって言って」
政孝の望んだ通り徹底的に日本食を勉強したリタは、漬物も塩辛も名人になっていた。
リタは昼の弁当を十一時に作り始め、できたての温かいものを毎日、工場に届けた。政孝や威の帰宅時間にもうるさかった。
「リタおふくろは、予定よりちょっとでも遅くなると機嫌が悪くなってね。『ゆでたジャガイモも、粉をふく一番美味しい瞬間に出せるようにしているのだから』って怒るのですよ」
「塩辛はどんなに冷たくても母は毎日素手でかき混ぜていました。人間の温度が塩辛をおいしくするって言って」
政孝の望んだ通り徹底的に日本食を勉強したリタは、漬物も塩辛も名人になっていた。
リタは昼の弁当を十一時に作り始め、できたての温かいものを毎日、工場に届けた。政孝や威の帰宅時間にもうるさかった。
「リタおふくろは、予定よりちょっとでも遅くなると機嫌が悪くなってね。『ゆでたジャガイモも、粉をふく一番美味しい瞬間に出せるようにしているのだから』って怒るのですよ」
コメントする