凛として 四十三

| コメント(0) | トラックバック(0)
 小樽へは何度か足を運んだことがあるのですが、ニッカ工場へは立ち寄つてゐません。

 ニッカ工場といへば、學生時代に過ごし、今も、父と妹の生活拠点になつてゐる北柏にニッカ柏工場(千葉県柏市:北柏)がありました。よく手入れの行き届いたテニスコートを何度か使はせていただきました。年に一度、工場が解放され、社員の皆さんによる屋台が出て、ウィスキーが市民にふるまはれます。

 おいしかつたな~。學生でしたので、ウイスキーはあまり飲んだことがありませんでした(當時ウイスキーは高級だつた)。

 その後、仙台工場になにかのきつかけで行つたときにいただいたスーパーニッカののどごしはなんともいへませんでした。

 今住んでいる西宮にも工場がありますが、行つたことはありません。

 さて、リタさんの話のつづきです。
 歌子は結婚した当初、竹鶴家の食べ物へのこだわりに驚いた。

「父は大根を煮て食べるときも、朝採ったものではダメなんです。雨でも目の前で採ってこないといけない。それで『うまい、うまい。これが最高のぜいたくだ』って大喜びですから、憎めないですよね」

 ただ、リタ自身は和食をほとんど食べなかった。二十七年に東京に本社を移してから、政孝の留守が増えた。そうなると「命の洗濯」とばかりに、若い息子夫婦と洋食を楽しんだ。

「金曜の夜はローストビーフが決まりでしたね。スコッチブロスという大麦や野菜が入ったスコットランドの伝統的なスープや、クリスマスのプディングケーキなど、何でもおいしかったなあ」と威は懐かしむ。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5843

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年11月27日 05:05に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「朔風拂葉」です。

次のブログ記事は「英霊たちの言霊 其の七」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。