つづきです。
東舞鶴中學校へ入學して、叔父の家に預けられて、第一學年の夏休みに、はじめて歸省したときのことである。そのころ母の緣者の倉井といふ男が、大阪で事業に失敗して、成生に歸つてが、家附の娘である彼の妻は、彼を家に入れなかつた。そこでやむなく、ほとぼりがさめるまで、倉井は私の父の寺に身を寄せてゐた。
私たちの寺には蚊帳の數が少なかつた。よく感染しなかつたものだと思ふが、母と私は結核の父と一つ蚊帳に寢、それに更に倉井が加はつた。私は夏の深夜の庭木づたひに、ちりちりともつれたやうに短い啼音を立てて、蟬が飛び移つたのをおぼえてゐる。多分その聲で私は目をさました。潮騒は髙く、海風は蚊帳の萌黄の裾をあふつた。蚊帳の揺れ方が尋常ではなかつた。
私たちの寺には蚊帳の數が少なかつた。よく感染しなかつたものだと思ふが、母と私は結核の父と一つ蚊帳に寢、それに更に倉井が加はつた。私は夏の深夜の庭木づたひに、ちりちりともつれたやうに短い啼音を立てて、蟬が飛び移つたのをおぼえてゐる。多分その聲で私は目をさました。潮騒は髙く、海風は蚊帳の萌黄の裾をあふつた。蚊帳の揺れ方が尋常ではなかつた。
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