今日から第八章です。
第8章「ニッカ」との出合い
「感謝を込めて、この酒を川に注いできてくれ」
第2の蒸留所の誕生
戦後の混乱を経てブーム到来
昭和四(1929)年、竹鶴政孝が寿屋(現サントリー)勤務時代に発売した日本初の本格ウイスキー「サントリー白札」は、売れなかった。九年、大日本果汁株式会社を設立して最初につくったリンゴジュースも売れなかった。
では、十五年に自らの手によって発売した第一号ウイスキー「ニッカウヰスキー」の売れ行きはどうだったのか?
実はその答えはない。発売二か月後にウイスキーなどはぜいたく品として製造販売が制限されるようになったからだ。政孝のウイスキー人生は、時代の波にもまれ、紆余曲折が続いた。
余市蒸留所(北海道余市市)は、海軍の指定工場になり、ウイスキーは海軍が買い上げることになった。ただそのおかげで、物資が乏しい時代も大麦の配給を受けることができ、後の財産となる原酒をつくり続けることができた。
しかし、終戦とともに状況は一転する。
「感謝を込めて、この酒を川に注いできてくれ」
第2の蒸留所の誕生
戦後の混乱を経てブーム到来
昭和四(1929)年、竹鶴政孝が寿屋(現サントリー)勤務時代に発売した日本初の本格ウイスキー「サントリー白札」は、売れなかった。九年、大日本果汁株式会社を設立して最初につくったリンゴジュースも売れなかった。
では、十五年に自らの手によって発売した第一号ウイスキー「ニッカウヰスキー」の売れ行きはどうだったのか?
実はその答えはない。発売二か月後にウイスキーなどはぜいたく品として製造販売が制限されるようになったからだ。政孝のウイスキー人生は、時代の波にもまれ、紆余曲折が続いた。
余市蒸留所(北海道余市市)は、海軍の指定工場になり、ウイスキーは海軍が買い上げることになった。ただそのおかげで、物資が乏しい時代も大麦の配給を受けることができ、後の財産となる原酒をつくり続けることができた。
しかし、終戦とともに状況は一転する。
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