政孝がついに、安物ウイスキーづくりを手掛けました。
政孝は、息子の威を三級ウイスキーの製造担当者とした。同年「スペシャルブレンドウイスキー」が発売される。五百ミリリットルで三百五十円。政孝の「せめてもの抵抗」で、原酒は上限ギリギリの五%まで入っていた。二十七年、東京に本社を写し社名をニッカウヰスキーに変更。東京都港区の麻布に東京工場を建設するなど徐々に事業を広げていく。二十八年、酒税法改正で一級から三級の級分けは、特級から二級と変わった。
二十九年、大日本果汁の出資者、加賀正太郎と芝川又四朗は発行株式の半数にあたる持ち株を朝日麦酒(現アサヒビール)社長、山本爲三郎に売却する。山本は、営業強化のため弥谷醇平というすご腕を送りこんだ。
二十九年、大日本果汁の出資者、加賀正太郎と芝川又四朗は発行株式の半数にあたる持ち株を朝日麦酒(現アサヒビール)社長、山本爲三郎に売却する。山本は、営業強化のため弥谷醇平というすご腕を送りこんだ。
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