三島由紀夫の不朽の名作「金閣寺」を讀みながら、政治の陰謀に騙されて、現代日本人が失つてしまつた正しい日本語を學習してゐます。つづきです。見事な表現です。「掌」といふたつたひとつの言葉にこれほどまでに躍動感を與へることができるのは、三島しかゐないでせう。
今もその掌の記憶は活きてゐる。たとへやうもないほど廣大な掌。背後から廻されて來て、私の見てゐた地獄を、忽ちにしてその目から覆ひ隱した掌。他界の掌。愛か、慈悲か、屈辱かは知らないが、私の接してゐた怖ろしい世界を卽座に中斷して、闇のなかに葬つてしまつた掌。
私はその掌の中でかるくうなづいた。諒解と合意が、私のちいさな顔のなかでうなづきから、すぐ察せられて、父の掌は外された。・・・・・そして私は、掌の命ずるまま、掌の外されたのちも、不眠の朝が明けて、瞼がまばゆい外光に透かされるまで、頑なに目を閉ぢつづけた。
私はその掌の中でかるくうなづいた。諒解と合意が、私のちいさな顔のなかでうなづきから、すぐ察せられて、父の掌は外された。・・・・・そして私は、掌の命ずるまま、掌の外されたのちも、不眠の朝が明けて、瞼がまばゆい外光に透かされるまで、頑なに目を閉ぢつづけた。
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