母の不貞を、見事な表現で切り抜けるこの三島由紀夫の表現力! そして、これが眞の日本語の力なのでせうね。嘘の歴史と嘘の日本語を學んできた、敗戰後の私達にはとても出せる力ではありません。つづきです。
―後年、父の出棺のとき、私がその死顔を見るのに急で、涙ひとつこぼさなかつたことを想起してもらひたい。その死と共に、掌の覊絆(きずな)は解かれて、私がひたすら父の顔を見ることによつて自分の生を確かめたいのを想起してもらひたい。私はあの掌、世間で愛情と呼ぶものに對して、これほど律儀な復讐を忘れなかつたが、母に對しては、あの記憶を恕(ゆる)してゐないことは別に、私はつひぞ復讐を考へなかつた。
・・・・・母は、命日の前の日に、金閣寺へ來て一夜の宿を許される手筈になつてゐた。命日の當日は、私も學校を休めるやうに、住職が手紙を書いてくれた。勤勞動員は通ひであつた。前日私は鹿苑寺へかへるのが氣が重かつた。
透明で單純な心を持つた鶴川は、久々の母との對面を喜んでくれたし、寺の朋輩も好奇心を抱いてゐた。私はみすぼらしい母を憎んだ。どうして自分が母に會ひたくないかを、親切な鶴川に説明するのに苦しんだ。
・・・・・母は、命日の前の日に、金閣寺へ來て一夜の宿を許される手筈になつてゐた。命日の當日は、私も學校を休めるやうに、住職が手紙を書いてくれた。勤勞動員は通ひであつた。前日私は鹿苑寺へかへるのが氣が重かつた。
透明で單純な心を持つた鶴川は、久々の母との對面を喜んでくれたし、寺の朋輩も好奇心を抱いてゐた。私はみすぼらしい母を憎んだ。どうして自分が母に會ひたくないかを、親切な鶴川に説明するのに苦しんだ。
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