英霊たちの言霊 其の十一

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 市川尊繼命のつづきです。
 亡母市川トヨさんの思慕

 尊繼の二十二年間の想ひ出は、數へ切れぬほど澤山ありますが、そのどれを思ひ出しても、いまだに目頭が熱くなります。(中略)

 小學校の時、ただいまのNHKの第一ラジオ放送の子供の時間に「こひばり」と「汽車ポッポ」を獨唱したことがあります。現在のやうに録音テープがございましたならと(中略)、大變殘念に存じてをります。(中略)。

 いつのことでしたか、絣(かすり)の着物を新調し、縫つて與へたことがありました。それまでは、たいてい兄のお下がりばかりだつたので、よほど嬉しかつたらしく、それを一着に及ぶと「黒田節」を踊りはじめました。まアこの子がいつどこでどうして覺へたのかと、感心したことを思ひ出します。

 昭和十八年、學徒出陣の日、尊繼は送別の席上で「黒田節」を晴れやかに舞ひ納めて、還らぬ壮途につきました。

 あの時の思ひ決したあの子の顔を、わが子ながら美しいと感じて、今もなお胸底深くしまつてゐるのでございます。

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このページは、宝徳 健が2014年12月 7日 08:12に書いたブログ記事です。

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