金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 つづきです
 しかも彼は工場が終わると匇々(そうそう)、
「さあ、駈足でかへらう」

 と私の腕をつかんだ。

 私がまるきり母に會ひたくないと云ふのでは誇張になる。母が懐かしくないわけではない。ただ私は肉親の露骨な愛情の發露に當面するのがいやで、そのいやさにさまざまな理由ぢうけを試みてゐたにすぎないのかもしれない。これが私のわるい性格だ。一つの正直な感情を、いろんな理由づけで正當化してゐるうちはいいが、時には、自分の頭脳の編み出した無數の理由が、自分でも思ひがけない感情を渡しに強ひるやうになる。その感情は本來私のものではないのである。

 しかし私の嫌惡にだけは何か正確なものがある。私自身が、嫌惡するべき者だからである。

「走つたかて、しやうがない。しんどいんやもん、足を引きずつてかへつたらええのんや」
「さうしてお母さんに同情させ、甘つたれるつもりなんだな」

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このページは、宝徳 健が2014年12月 9日 05:29に書いたブログ記事です。

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