金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 ひとつの事件を、これだけの表現力、これだけの想像力、これだけの日本語で、讀者を惹きつける、三島由紀夫とは、やはりただものではありません。つづきです。
 京都では空襲に見舞はれなかつたが、一度工場から出張を命ぜられ、飛行機部品の發注書類を持つて大阪の親工場に行つたとき、たまたま空襲があつて、腸の露出した行員が儋架(担架)で運ばてゆく樣を見たことがある。

 なぜ露出した腸が凄慘なのであらう。何故人間の内刃わを見て、慄然として、目を覆つたりしなければならないのであらう。何故血の流出が、人に衝擊を與へるのだらう。何故人間の内蔵が醜いのだらう。・・・・・それはつやつやして若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。・・・・・私が自分の醜さを無に化するやうなかういふ考へ方を、鶴川から敎はつたと云つたら、彼はどんな顔をするだらうか?内側と外側、たとへば人間を薔薇の花のやうに内も外もないものとして眺めること、この考えhがどうして非人間的に見えてくるのであらうか?もし人間がその精神の内側と肉體の内側を薔薇の花辨のやうに、しなやかに翻へし、巻き返して、日光や五月の薔薇にさらすことができたとしたら・・・・・。

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このページは、宝徳 健が2014年12月13日 07:41に書いたブログ記事です。

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