凛として五十五

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 つづきです。
 宇野は昭和三十八年(1963)年入社。直接ウイスキーづくりに携わってきた技術系出身だけに実感がこもる。

「物事には何でもまず基本があります。竹鶴さんが伝えたかったのは、結果としていい酒をつくるためには、物づくりの基本に忠実であることが大事ということ。その一方で、新しいことも必要だと、下っ端の私たちの話も聞いてくれて自由に挑戦させてくれた。それがこの評価につながったのです」

 政孝が手本にし目標としたスコットランドのウイスキー産地は、主に北のハイランドと南のローランドに分けられる。ウイスキーの個性には気候風土が大きく影響するため、北と南の産地の違いによって味や香りのタイプも異なる。さらに、とうもろこしなど穀類を主原料としたグレーンウイスキーもある。政孝の夢は、その全タイプのウイスキーを日本でつくることっだった。

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このページは、宝徳 健が2014年12月16日 05:27に書いたブログ記事です。

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