これから始まる、主人公と母親の心理的な戰闘は、緊張感の連續です。さういへば、私は、この主人公の名前を知りません。主人の名前を讀者に敎ずに書き進められるのは三島由紀夫ならでわですね。
石原慎太郎氏も、夏目漱石や森鴎外は讀んでゐて退屈だと言ひますが、三島由紀夫だけは絶賛してゐます。
つづきです。
石原慎太郎氏も、夏目漱石や森鴎外は讀んでゐて退屈だと言ひますが、三島由紀夫だけは絶賛してゐます。
つづきです。
―母はすでに來て、老師の部屋で話をしてゐた。私と鶴川は、初夏の日暮れの縁先に膝まづき、只今かへりました、と言つた。
老師は私だけを部屋で上げ、母を前にして、この子もよくやつてゐる、といふやうなことを言つた。私は母のはうを殆ど見ずに頭を下げてゐた。洗ひざらしの盲縞のもんぺの膝が、その上に揃へた汚い手の指が見えた。
老師はわれわれ母子に、部屋へ下つてよいと言つた。われわれは何度もお辭儀をしてその部屋を出た。小書院の南向き、中庭に面した五疊の納戸が私の部屋である。そこに二人きりになると、母は泣き出した。
このことあるを豫知していたので、私は冷然としてゐることができた。
「おれはもう鹿苑寺の預りもんやで、一人前になるまで、訪ねて來んといてほしい」
「わかつてる。わかつてる」
老師は私だけを部屋で上げ、母を前にして、この子もよくやつてゐる、といふやうなことを言つた。私は母のはうを殆ど見ずに頭を下げてゐた。洗ひざらしの盲縞のもんぺの膝が、その上に揃へた汚い手の指が見えた。
老師はわれわれ母子に、部屋へ下つてよいと言つた。われわれは何度もお辭儀をしてその部屋を出た。小書院の南向き、中庭に面した五疊の納戸が私の部屋である。そこに二人きりになると、母は泣き出した。
このことあるを豫知していたので、私は冷然としてゐることができた。
「おれはもう鹿苑寺の預りもんやで、一人前になるまで、訪ねて來んといてほしい」
「わかつてる。わかつてる」
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