自分が親なら、私の父なら(皇紀弐千六百七十五年一月二十五日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 後かなきやうに申し上げておきます。テロは憎みます。人の命も尊びます。そして、私は世界一の親ばかだといふことも。

 イスラム國に捕まつてゐた湯川さんが殺害されたと今朝の報道でありました。こんなことがあつても軍も派遣できない我が國は、本當に主權國家でせうか?

 でも・・・。
 今囘の場合は、北朝鮮拉致事件とは違ひます。北朝鮮立ち事件は、何も惡くない人たちを極惡テロ國家が攫つてゐきました。

 今囘は、勝手に行つて捕まりました。

 もし、私が親なら「安倍首相、この國難の時に、自分が勝手に自分の責任でしたことです。首相にはまだまだ國家のためにやらなければならないことがたくさんあります。どうか私の息子のために時間と労力とお金を使うのではなく、我が國の再興のためにまい進してください。私の息子のことは放つておいてください」と云ひます。

 もし、私がこんなことをしでかしたら、私の親父も同じことを言ふでせう。

 いつたい何のために何をしに行つたのか???

 マスコミもマスコミです。北朝鮮拉致事件の時に、これほど騒いでいたら解決はもつと早かつたはずです。

 野黨の一部の連中は何ですかあれ。江田や柳沢など許せるものではありません。

 私の感覺はおかしいでせうか。

國を支へて國を賴らず
一身獨立して、一國獨立す

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5962

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2015年1月25日 11:50に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「三日後ぐらいにしか・・・」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。