まだサーバーの契約變更をしてゐません。だからブログが入りにくくて1通書くのがせいぜいです。早く契約變更をします。契約變更をしても、データを移し替える必要があるので、前のやうに一日數通書くのはまだ先になりさうです。
昨日、ピケティのことを書いてから新聞を讀んだら民主党の長妻が安倍さんに衆議院予算委員會で、ピケティのことについて論爭をしかけてゐました。
安倍さんは見事に答へてゐましたが、総理大臣とは大變ですね。あんなくだらない本をいちいち讀まなければなりません。
さて、昨日から七十二候の最後、大寒 末候 「鶏始乳」です。「にはとりはじめてとやにつく」と讀みます。
昨日、ピケティのことを書いてから新聞を讀んだら民主党の長妻が安倍さんに衆議院予算委員會で、ピケティのことについて論爭をしかけてゐました。
安倍さんは見事に答へてゐましたが、総理大臣とは大變ですね。あんなくだらない本をいちいち讀まなければなりません。
さて、昨日から七十二候の最後、大寒 末候 「鶏始乳」です。「にはとりはじめてとやにつく」と讀みます。
鶏が卵を産み始める頃です。
節分までがこの七十二候です。
今は、豆まきもあまりやらなくなりました。子供の頃は樂しい行事のひとつでした。
恵方巻きは、サラリーマン時代大阪に赴任して初めて知りました。平成十年です。それまで關東ではやつてゐなかつたと思ひます。九州でも。今では全國区になりましたね。今年は西南西だとか。
なんでも大阪では大正時代から續いてゐるさうな。
バレンタインは私が小學校の頃から始まりました。最初は、何のことかさつぱりわかりませんでした。まだホワイトデーがありませんでした。ホワイトデーは最初マシュマロデーと呼ばれてゐました。でも、今は、クッキーとか返すのですよね? マシュマロ業界の敗け~。
母は、父がバレンタインデーにチョコをもらつてくると、ホワイトデーには、自慢の牡丹餅を作つて父に持たせてゐました。母のつくる牡丹餅はうまかつたな~。
ちなみに春は牡丹餅です。秋はおはぎです。季節に花を表現してゐます。
鶏の思ひ出をひとつ。小學校四年生の時、學校の前で、おつちやんが、ヒヨコを賣つてゐました(當時はよくあつた)。母におねだりして二匹か三匹か賈つてもらひました。
弱いヒヨコばかり賣つてゐますので、ほとんど育たないのですが、なんとそのうち一匹が育つてしまひました。静岡縣駿東郡裾野町に住んでゐる頃です(今の裾野市)。
父の轉勤が決まつて、九州に行くことになりました。大きくなつた鶏をどうするかと云ふことで、友人にもらつてもらひました。
引つ越しの數日前、その友達に聞きました。「鶏は元気?」。すると友達は云ひました。「うん、おいしかつたよ」。
悲しかつた。
それと、九州は鶏がとてもおいしかつたのです。大學で上京し、下宿の友達に「博多名物水炊きば、作つちやるけん」と言つて、腕を披露しようとしました。鍋に水を張つて、手羽先を入れて出汁をとらうとしました。出汁が取れません。なぜなんだらう~。
家に歸つて、母に聞くと「それは、ブロイラーだからよ」と云ひました。ブロイラーの名前を始めて知りました。
就職して、JA担當になつたとき、ブロイラー「工場」に行きました。工場内が寒いと、鶏が死んでしまふので、LPガスで暖めるのです。そのLPガスを販売してゐましたので、現場見学です。本當に大きな工場みたいなところです。扉を開けると、鶏が、立錐の余地もないぐらい、びつしりと押し込められています。そこに抗生物質入りの餌をバーーーーつとまき散らすのです。明るくしつぱなしです。夜がないと鶏が早く大きくなるからです。
うえ~、氣持ち惡る~。
それからしばらく鶏を食べることができませんでした。
う~、どうやつて、この記事の落ちをつくつたらいいんだ~。
中途半端でごめんなさい。仕事をします。
節分までがこの七十二候です。
今は、豆まきもあまりやらなくなりました。子供の頃は樂しい行事のひとつでした。
恵方巻きは、サラリーマン時代大阪に赴任して初めて知りました。平成十年です。それまで關東ではやつてゐなかつたと思ひます。九州でも。今では全國区になりましたね。今年は西南西だとか。
なんでも大阪では大正時代から續いてゐるさうな。
バレンタインは私が小學校の頃から始まりました。最初は、何のことかさつぱりわかりませんでした。まだホワイトデーがありませんでした。ホワイトデーは最初マシュマロデーと呼ばれてゐました。でも、今は、クッキーとか返すのですよね? マシュマロ業界の敗け~。
母は、父がバレンタインデーにチョコをもらつてくると、ホワイトデーには、自慢の牡丹餅を作つて父に持たせてゐました。母のつくる牡丹餅はうまかつたな~。
ちなみに春は牡丹餅です。秋はおはぎです。季節に花を表現してゐます。
鶏の思ひ出をひとつ。小學校四年生の時、學校の前で、おつちやんが、ヒヨコを賣つてゐました(當時はよくあつた)。母におねだりして二匹か三匹か賈つてもらひました。
弱いヒヨコばかり賣つてゐますので、ほとんど育たないのですが、なんとそのうち一匹が育つてしまひました。静岡縣駿東郡裾野町に住んでゐる頃です(今の裾野市)。
父の轉勤が決まつて、九州に行くことになりました。大きくなつた鶏をどうするかと云ふことで、友人にもらつてもらひました。
引つ越しの數日前、その友達に聞きました。「鶏は元気?」。すると友達は云ひました。「うん、おいしかつたよ」。
悲しかつた。
それと、九州は鶏がとてもおいしかつたのです。大學で上京し、下宿の友達に「博多名物水炊きば、作つちやるけん」と言つて、腕を披露しようとしました。鍋に水を張つて、手羽先を入れて出汁をとらうとしました。出汁が取れません。なぜなんだらう~。
家に歸つて、母に聞くと「それは、ブロイラーだからよ」と云ひました。ブロイラーの名前を始めて知りました。
就職して、JA担當になつたとき、ブロイラー「工場」に行きました。工場内が寒いと、鶏が死んでしまふので、LPガスで暖めるのです。そのLPガスを販売してゐましたので、現場見学です。本當に大きな工場みたいなところです。扉を開けると、鶏が、立錐の余地もないぐらい、びつしりと押し込められています。そこに抗生物質入りの餌をバーーーーつとまき散らすのです。明るくしつぱなしです。夜がないと鶏が早く大きくなるからです。
うえ~、氣持ち惡る~。
それからしばらく鶏を食べることができませんでした。
う~、どうやつて、この記事の落ちをつくつたらいいんだ~。
中途半端でごめんなさい。仕事をします。
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