本の數は迷いの數(皇紀弐千六百七十五年二月九日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 北九州に傳説の美容サロンがあります。名前はバクジー。オーナーの久保さんは云ひます。「本を讀まない人は人を馬鹿にする。本を讀む人は自分の小ささがわかる」と。
 この言葉で思ひ出すことがあります。三十歳の頃、ある事件が起き、かなりショックを受けて、自分改造を始めました。三年ぐらいかかりました。いろいろな本を讀み、いろいろな体驗をしました。

 ある時、お寺に座禪を組みに行きました。座禪が終わつた後、和尚さんの話しがあります。とても良い話でした。でも、若かつた私は、生意気盛りです。和尚さんにかう言ひました。

 「そんなに偉さうな話をされてゐますが、和尚さんはそれは出來てゐるのですか?」

 すると和尚さんは、本当に普通の顔で「いえ、出來てゐませんよ」と仰いました。

 「では、なぜ、私たちにそんな話をするのですか?」と私。

 和尚さんの極めつけの言葉です。

 「自分の小ささを知るためです」

 この言葉が今の私を支へてゐます。目からも心からも鱗が落ちまくりました。

 「そうか、自分の小ささを知ればいいのか。これまでの自分は、自分を大きく見せよう大きく見せようとしていたな~」

 心理學の論理療法で言ふところの「マインドフルフルネス(自分の立ち位置を知る)」です。

 自分を大きく見せようとしていた頃の私は、常に何かに怯えてゐました。「あの人は自分をどう見てゐるのだらうか」「會社の中の自分の評価はどうなんだらうか」「將来どうなるんだろうか?」等々。

 でも、「自分の小ささを知る」ことが大切なんだとわかつた、それ以後も、「では、どうすればいいか」と惱み、むさぼるやうに本を讀みました。

 弊社には今、三千冊を超える本があります。いろいろなジャンルがあるのですが、すべて、私の迷いの數です。三千世界における、私の迷いの數です。

 人との交流を改善したいと思ひ、心理學を貪り讀んだ頃。自分を確立したいと思ひ、古典に埋没した頃。自分のアイデンテティを確立したいと思ひ、歴史に身をゆだねた頃。スキルを身に着けたいと思ひ、企業のあらゆるジャンルの本を讀んだ頃。

 そして、その迷いを吹つ切るために讀んで覺へた本の内容を他人に押し付けた頃。

 最近、やつとわかりました。「ああ、これが俺の迷いの數だつたんだ」と。

 今は、樂しんで讀書ができるやうになりました。ほんの少し成長できたかな???? 

 さてと、もつと自分の小ささを知らないと。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5974

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2015年2月 9日 02:53に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「息子より(皇紀弐千六百七十五年二月八日 弐)」です。

次のブログ記事は「士魂商才解説(皇紀弐千六百七十五年二月九日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。