士魂商才解説(皇紀弐千六百七十五年二月九日 弐)

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 まだ、サーバー會社との契約変更はしてゐません。でも、この數日、ブログが入りやすくなつてゐます。騙し騙しなんとか九月までいけないかなと思つてゐます(入らない時もあるので書くのが怖いのですが)。九月が契約變更の時期です。できるだけ節約したいので。

 さて、士魂商才の記事を少しずつここで紹介しながら振り返ります。私たち日本人は何をとらえ、何を考へれば良いのか。

 では、士魂商才の集大成である七十六號から振り返ることにしませう。

 巻頭言からです。この「ウシハク」と「シラス」の違ひを知らなければ、日本人とは云へません。かういふことを云ふと違和感を覺へる人がゐますが、我が國の國體そのものを知らずして何を語らうと云ふのでせうか? 日本人の「根」です。知らない人は根無し草。

 そして、そのシラスの考へ方は、大日本帝國憲法には見事に反映されてゐました。憲法とは、「政府を監視するもの」ではありません。「 constitution」です。「體質」です。

 つまり、自分の體質を知ることは當たり前ですよね。




【第七十六號:シラスとウシハク】

 いつも士魂商才をお讀みいただき感謝申し上げます。「士魂商才(しこんしょうさい)」第七十六號です。タイトルは「シラスとウシハク」です。

 「シラス」「ウシハク」は、我が國臣民であれば必ず知る必要がある言葉です。詳細は今月號の「古事記と生きる」で解説します。

 古事記に「天照大御神・髙木神の命もちて、使はせり。汝(な)の頷(うしは)ける葦原中國(あしはらなかつくに)は我が御子(あがみこ)の知らす國ぞ、と言依(ことよ)さし賜ひき。故、汝(いまし)の心はいかに」とあります。

 建御雷命(たけみかづちのみこと)が、大國主命(おおくにぬしのみこと)へ迫つた國譲りの話は有名です。その時の言葉です。

 「汝の頷ける國」とは、「大國主命のウシハケル國」です。これと、「我が御子のシラス國」。この違いを知らなければ日本人ではありません。我が國國體の根本原理だからです。

 大國主命は、苦労に苦労を重ねて、やうやく國の主となりました。しかしその治め方はしょせん「ウシハク」でしかありませんでした。それを天上から觀た天照大御神は、「これは我が國の統治方法「シラス」ではない」とお考えになり「國を譲り」を考えました。

「ウシハク」とは「主人(うし)」が「佩く(はく:身に着ける、所有する)」で、主人が自分の物にするといふ意味です。つまり、歐州や支那で行われていた支配形態です。これを天照大御神は完全に否定しました。

 「シラス」は「シラシメス」「シロシメス」「シメラフ」などに變化(変化)します。「シメラフ」を漢字で書くと「統(し)めらふ」です。意味は、「知らす」です。情報の共有、つまりインテリジェンスです。「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して國造りをするといふ考へ方です。その中心となるのが、「シメラフ」の存在、つまり、「統(す)めみらのみこと」です。ですから天皇陛下のことを「スメミラノミコト」と云ひます。

 これは神武天皇が我が國を統治する数千年前からの我が國の國體(国体)であり、世界で我が國でしかできなかつたことです。さうです、我が國の皇室の歴史はたかだか弐千六百七十四年などではなく、果てしなく永いのです。それが考古學上も證明されてゐます。

 私の人生の唯一の目的は、「立派な日本人になること」です。そのために、樣々な學習を重ねています。

 我が祖國が素晴らしいと云ふことはわかつてゐました。でも、學べば學ぶほど、「これほどまでに素晴らしいとは思ひもしなつた」と、驚愕してしまひます。

 十九世紀までずつと「ウシハク」という支配形態しか知らなかつた世界中の國々の中で、唯一我が國のみが、はるか太古から「シラス」國を築いてきました。

 萬民が天皇の臣民となることは、政治權力者も天皇の臣民の一人でしかありません。その政治權力者が當(当)たる民は、すべて天皇の臣民です。從つて、誰一人として、權力者の私有民にはなりません。當たり前の話に聞こえるかもしれませんが、「私有民」と云ふのが、歐米でも支那でも他國では常識だつたことを考へると、奇跡としか云へません。

 私有民でないと云ふことは、ひとり一人が人間として扱はれます。人としての尊厳が守られ自立していることを意味します。

 それが「統(す)めみらのみこと」の存在する我が「シラス」國の國體です。

 マッカーサーの落書きから始まつた、憲法と云ふ名の文章でしかない日本國憲法は、この國體を全くあらはしてゐません。

 我が國臣民が何をなすべきか。それは眞實を知れば明らかなのです。

 せつかく世界で唯一續いて來たことを、たつた一度戰爭に敗けただけで、わざわざ、臣民が愚かになり、斷絶させることはあまりにも殘念です。

 私達、大人の自覺が必要です。もうそろそろ目を覺ましませう。

 今月號もお樂しみください。

                                                                感謝合掌

皇紀弐千六百七十四年六月吉日

株式會社 經營戰略室

代表取締役 寳德 健

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このページは、宝徳 健が2015年2月 9日 03:17に書いたブログ記事です。

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