???表現の自由???(皇紀弐千六百七十五年二月二十二日)

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 最近、信じられないことが我が國で起こらうとしてゐます。なんと、どこかの自治體で外國人まで含めた住民投票をやらうとしてゐます。同性婚を認める自治體まで出てきたさうです。夫婦別姓制度などといふ我が國の國體を破壊する動きまで出てきてゐます。

 それもこれも、すべて臣民が國體を學ばないことが原因です。かういふアホな主張をしてゐるアホな奴らは、それが世界標準だと云ひます。
 他の國は、かういふ愚かなことをしてゐたから歴史が繼續しなかつたのです。そんな破壊性を世界標準としてもしかたがありません。今、必要なのは我が國臣民自身が、なぜ我が國だけが世界で唯一歴史が繼續したかを學ぶことです。日本標準こそを世界標準にする動きが大切なのです。世界平和は唯一歴史が繼續した我が國しか主張することができません。

 だいたい、聖書でも同性愛は禁じてゐます。だからソドムとゴモラの街は神に焼き盡されてしまひました。

 まつたくおかしな動きです。愚かな動きです。

 表現の自由と云ふ言葉があります。でも、これは何でもかんでも好き勝手に言つて良いといふものではありません。

 嘘や中傷まで言葉を發していいといふものではありません。

 朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、NHKに代表されるメディアは、嘘を云ひます。それを表現の自由と云ひます。違いますよね?

 例えばNHKが、杉原地畝の特集をやつた時です。「日本政府に逆らつてビザを發給した」とやりました。さういふ事實はありません。いくら杉原がビザを發行しても、本當に日本政府が反對してゐたら、我が國に入國することはできません。「政府=惡」といふ構図を意図的に作り上げてゐます。

 これは表現の自由ですか?國民の知る權利とメディアはよく云ひますが、それを一番侵してゐるのはメディアです。自分たちの主張に合はないことは報道しない。自分たちの都合の良いやうに、事實を捻じ曲げて報道する。

 それと、一部のキリスト敎徒が、風刺画を書きます。一部のイスラムがそれに頭に來てテロを行います。イスラムだけが惡者のやうに報道されます。

 あんな風刺画いるの? もし天皇陛下の風刺画が書かれたら、私は、この一部のイスラムと同じやうな気持ちになるかもしれません(行動はしませんが)。

 一部のキリスト敎徒は、自分たちが常に正しいと思つてゐます。それとレベルの低さですね。これも表現の自由とは云ひません。

 自由、自由、自由、自由・・・・・・。馬鹿じゃないのか。

 天が與へたその人間への使命を個性と云ひます。なんでも好き勝手にやることを個性とは云ひません。性とは、變へられないものです。動物性、植物性と云ひますよね?植物が動物になれる?

 男性、女性もさふです。

 我が國は、天皇陛下を頂點とした家族主義を以て世界で唯一歴史を繼續させました。夫婦別姓など、我が國の國體にはありません。

 大日本帝國憲法には、「主權」といふ言葉が一つもありません。主權とは、「國家を転覆する權利」です。國民主權などはとても恐ろしい言葉なのです。

 基本的人權とは、自然權である「人を殺す自由」は放棄しやうよ。といふ意味です。そんなものが我が國に必要ですか?

 憲法改正のポイントは9条なんかではありません。國民主權や基本的人權を取り除き、「シラス」といふ世界に燦然と輝く我が國の國體をまう一度、組み込むことです。

 私たちの生き方は「自由」や「權利」ではありません。天から与えられた使命(個性)を自分なりに見付け出し、それをコツコツ果たしていく「一隅を照らす」生き方なのです。

 悲しくなります。

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このページは、宝徳 健が2015年2月22日 08:08に書いたブログ記事です。

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